2016年05月30日

カール・ポパーの哲学。

さて、高校の部活の顧問が描いた現代文の研究本を読んでいる。

アメリカの哲学のパースは、論理の展開には、次の三つがあるといったそうな。

・帰納(現象→法則)
・演繹(法則→実践)
・アブダクション(仮説推論) 
※ 仮説は、証明・実証なのに、推論ってところが気になる。


仮説推論とは、Wikipediaによると以下。

庭の芝が濡れていた。
そこで、昨夜雨が降った。夜露。誰がが水まきをした。
という仮説を立てた。そこから推論をする。


娘に教授すると、納得するとともに、ゼミの友達とも共有したとか。
しかし、部活顧問の本には、アブダクションではなく、「仮説演繹」とある。

仮説証明と仮説推論、
ではなく、仮説演繹?

ということで、仮説演繹を提唱したカール・ホッパーのWikipediaを閲覧してみる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC



部活顧問の本の記述につき、「原著にあたっていない」「孫引きである」などという批判のブログがあった。
これこそが、アカデミズムの悪弊である。

ティム・バーナーズリーは、「人工知能」に関連して、「理解」とは、相手にとって最適な「要約」をアウトプットすることとしている。
ならば、「原典にあたること」は有職故実でしかなく、時間の無駄。

根本的にいえば、ウェブがある現代において、「読解・要約」は学問ではない。


私は、Wikipediaをサーフィンすることで、現代思想の全貌を把握しようと努めている。
私が知りたいのは、「全貌」であって、ニッチな部分の詳細ではない。

Wikipediaを読んだだけ。と、批判されるのは、アカデミズムの有職故実にこだわる人であって、葬り去られるべき人だろう。



ポパーのWikipediaを要約すると、
科学は、仮説を実証することで発展してきた。しかし、実証できない仮説。つまりは、反証ができない仮説に価値がないということではない。
というか、仮説を実証できる仮説(定式化)されたものに、価値はなく、反証されている仮説にこそ、価値がある。
ということであろう。


「反証されえない仮説は科学的ではない」というポパーの考えは、「反証されえない仮説」は、宗教である。とのことか。

つまり、「考え続けられること」こそ、科学の本質であり、さらにいえば、「考え続ける意志」を持たせる、「当該仮説の重要さ」、こそが大切なのである。



そのことは、「正誤よりも、重要度」という私の思想の核心部分と重なっている。
('◇')ゞ
posted by スポンタ at 08:07| 東京 ☀| Comment(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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