2016年05月20日

グルーヴとは…。

娘が、グルーヴについて分からないというので、書き留めておく。

一言でいうと、「タイムがなければ、グルーヴは発生しない」。

日本の伝統音楽の一部(常磐津・木遣り)には、タイムという概念がないので、グルーヴは存在しない。(日本の伝統的な時間感覚は「間」)

※ ただし、日本の民謡(作業時に使われる)には、拍の概念もある。





グルーヴとは、「反復的時間感覚」との「微妙な乖離」である。

つまり、「反復的時間感覚(タイム感)」がないところに、グルーヴは存在しない。



「反復的時間感覚」は、タイム感・クロノスとも言う。

反復的時間感覚には、3拍子・4拍子など、私たちは西洋音楽でなじんでいる。
日本の民謡などにも、拍の概念は存在する。労働のための民謡などで、拍は必須な概念である。

津軽じょんがら節は、鑑賞音楽だと思うが、「1拍子」的な傾向が強いだろう。何故なら、1拍子なら、一拍目が1.1拍で、二拍目が0.9拍ということもありえる。少なくとも、拍が存在する。

高校時代の吹奏楽部の松本先生は「音楽は1拍子」と言っていたが、私はそれは間違いだと思う。松本先生は、「テンポルバート(テンポを感情により自由に変化させる)」を肯定するために言ったのだろうが、アチェルランド・リタルダンドは許容されても、個別の拍が異なるのはダメだと思う。隠し味と称して、4拍目を気持ち短くして、次の小節頭の1拍目を長めにする方法があるが、それは、グルーヴの範囲内で行うべきであって、タイムを崩してはならない。

先生の名誉のために言うなら、40年前には、タイム感という時間感覚は、知られていなかった。


ビート系の西洋音楽では、4拍子・3拍子などにおいて、隣り合わせる拍の長さが異なるのは「下手」。
つまり、曲想を盛り上げる理由だとしても、一拍目が1.1で、四拍目が0.9はありえない。「あってはならない」。与えられたタイムの中で、グルーヴの範囲内で、クイ・タメをするだけ。

実は、西洋でもタイム感の重要性は、知られていないようで、タイム感が希薄な小沢征爾氏や、佐渡豊氏が、ヨーロッパのオーケストラに招かれたりする。
私にとって、カール・ベームが素晴らしく感じられるのは、このあたりが理由なのかもしれない。


私は、FMラジオで、ブラームスの交響曲第一番を聴いていて、楽章中のグランドポーズの部分で、拍がなくなったので、これは日本人の指揮者による演奏に違いないと確信した。曲が終わると、指揮者が小沢征爾氏と知り、ほくそ笑んだ。


日本には、「間」という時間感覚があり、「間」は、反復的時間感覚ではない。一方、西洋音楽はつねにataccaである。

日本の「常磐津」「木遣り」には、拍という概念が存在しない。
つまり、ノングルーヴ(ジャストグルーヴ)ですらない。



1年以上前に、娘と学生ビッグバンドの定期演奏会に行った。昨年の山野コンクールの優勝団体だから、優秀な演奏者たちである。しかし、私は満足することかできなかった。

その理由は、ソリストがグルーヴした演奏をすると、バックが、そのグルーヴにアンサンブル(音のタイミングを合わせる)してしまって、グルーヴを消すから。
結果、ある程度の間隔を保ちながら、グルーヴしたり、しなかったりする。

おもしろかったのは、実力の劣るBチームの演奏は、アンサンブルする迄の実力がないので、逆にグルーヴしていたこと。



…ま、そんな感じ。

posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタと娘…。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0