2016年05月15日

アリストテレス的、プラトン的とは…。

先日は、アポロン的とディオニュソス的について裁断的に提示した。

アポロン的とは、この世界の「本質・存在」を表現すること。
具体的には、「無常」を表現する日本の芸術。バッハ、ワーグナー、シェーンベルグ

ディオニュソス的とは、鑑賞者の感情をゆさぶることを、芸術の目的とすること。
具体的には、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス…。




今回は、アリストテレス的、プラトン的について提示したい。

アリストテレス的とは、「内在的」。
つまり、「この次元(現実)しか、存在しない」という立場。


プラトン的とは、「超越的」。
超越とは、神秘でもなんでもなく、「別の次元が存在する」という立場。
イデアとは、神・天ではなく、別次元と言い換えると、分かりやすい。


これさえ、理解していれば、なんとかなる。

*

アリストテレス、ここだけ。
プラトン、別の場所がある。



ラファエロのアテナイの学堂では、

http://bigakukenkyujo.jp/blog-entry-28.html

プラトンが上方を指さす。それは、上方に、別次元があるとするから…。
多分、いかりや長介と高木ブーの雷様がいるような別次元が、雲上にあるのだろう。

一方、アリストテレスが、前方を手のひらでさすのは、この世界がすべて…。
ということ。



さて、何で、こんなことを書いているかというと、青山先生の「西洋美術の歴史と理論」を観たから。

ゴシック様式のまとめ。
http://matome.naver.jp/odai/2137404532218347601

バロック様式のWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%AF%E5%BB%BA%E7%AF%89


そこでは、ゴシック様式とロマネスク様式を、アリストテレス的とプラトン的と解釈していたから。

ゴシック式とはゴート族風。つまりは、北方ヨーロッパ人的であり、ロマネスクとは、ローマ人風であり、地中海的ということになるが、そう理解したのでは分かりにくい。というか、青山先生は、ゴシックはアリストテレス的であり、ロマネスクはプラトン的である。と、説明する。



私は娘に、「青山先生の知性に劣等感を持つ必要はない」と言った。なぜなら、インターネットの生みの親・ティムバーナーズリーは、人工知能に関連して、「理解する」とは、「相手の理解度に応じたアウトプット」ができること。と、発言しているからである。

つまり、「相手の理解度が低い」場合、青山先生は、つらい立場になる。



ゴシック建築は、アリストテレス的。つまり、建物にすべてが「内在」している。
だから、神を表現するために、建物は縦に伸びるし、光る壁として、ステンドグラスが存在する。
つまり、教会建築は、神、そのものである。


一方のロマネスク建築は、プラトン的。つまり、神なる世界は、「別の次元(イデア)」に存在する。(外在的)
したがって、教会建築で、ことさら、神・神の場所を表現することはない。




芸術論をまとめる。

アポロン、存在的。
ディオニュソス的、喜怒哀楽を操る。

アリストテレス的、内在。ここしかない立場。
プラトン、超越。別な次元がある立場。




これだけを呪文のように覚えておけば、芸術の理解は格段にすすむ。

建築・絵画に限らず、ドラマ・映画を見ても、
これは、アポロン的か、ディオニュソス的か。
アリストテレス的か、プラトン的か。


を考察すれば、日々、芸術学を研究していることになる。



追記:
ちなみに、青山教授は、フリーメイソンの邪悪性を理解していない。教授は、フリーメイソンを「明るい」と表現するが、自由・平等は、フリーメイソンの裏組織が、「専制国家を破壊させる」ための思想ツールであって、それが最初に機能したのがフランス革命である。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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