2016年05月08日

アポロン的・ディオニソス的。

青山昌文教授の大学院の教科書「美学・芸術学研究」を読んでいる。

音楽の話題では、中世の音楽観として、以下をあげている。

1、宇宙の音楽
2、魂の音楽
3、器官の音楽

このうち、音を伴っているのは、3だけ。
つまり、1と2は、バイブレーションというようなものか。




プラトンによれば、
芸術の構造は以下。

イデア(本質)→自然(無限)→人間→
→高次元の芸術(有限)→
→低次元の芸術(有限)


高次元の芸術は、「存在」を表現し、
低次元の芸術は、「感情」を操ろうとする。

「存在を表現する」のが、アポロン的であり、
「感情を操ろう」とするのが、ディオニソス的である。




演劇でいえば、「お涙ちょうだい」は、ディオニソス的であり、
人間の宿命や運命を表現するなら、アポロン的ということになる。



愛を歌う「元気ソング」は、ディオニュソス的であり、

「無常」を訴える「平家物語」は、アポロン的ということになるか。
その中で、俊寛だけとりあげるなら、憎悪と悔悔の話であり、ディオニュソス的ということか。

アポロンというと、太陽の神という印象があるが、そういうことではない。



気づかなければならないのは、「感情を操る」ロマンティックな芸術・音楽は、「存在・運命・桎梏」を表現する芸術・音楽よりも、次元が低いこと。

つまり、古典芸術は、時代がすすむにしたがって、次元を低くしている・低級・低俗になる、ということ。



シェーンベルグの12音技法は、アポロン的であり、チャイコフスキーのようなロマンティックな音楽よりも、超越的であり、高級ということになる。

ジャズ音楽家の菊池成孔氏が、ロマン派の音楽は、情念がきつくて、うっとうしいと発言していたが、アポロン的とディオニュソス的の対比を知ると納得がいく。

さらに青山先生は、個人の感情を音楽にしたためることが普及しているコミュニティーは崩壊寸前である…。と。(P.109)

そこまで言うか。青山先生。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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