2016年04月05日

映画「ジュピター」に想う。

映画「マトリックス」の後の作品ということで、期待していたが、なんとなく見逃してしまい、先日、CATVで観た。

存在論的な高まりを期待したが、ありがちなSF未来活劇。ヒロインの出自や、地球の来歴について、言葉で語られるばかりで、あまり深く触れられてはいない。



映画「マトリックス」にしても、アクションや特殊効果が売りであって、作品の背後にひろがっている構造でブレークした作品ではないだろう。

ちなみにマトリックスとは、この世界(次元)は、図表的な存在(相対的)であり、唯一無二の絶対的なものではない。具体的には、「テレビゲームにプログラム」が存在するように、「(現世に対応する)プログラム次元(異次元・アルタードステーツ)」が存在する。

*

マグリッドに、「これはパイプではない」という絵画があるが、「描かれたパイプ」はパイプではないのは道理。「パイプの絵」を「パイプ」と見間違ってはいけないように、この世界も…。


ということか。


この作品の構造は次のようである。

地球人は「不老不死」の物質をつくるための(異星人の)家畜であり、そのため、地球は、異星人にとっての「牧場のようなもの」。そろそろ家畜の収穫の時期である。
その構造は10億年前から始まるが、それを地球人は知らない。

物語は、地球人の中に「異星人の王女」が紛れていて、異星人たちとの戦闘が始まるというもの。




私は、SFの設定ロジックとしては、真新しいものを感じなかった…。
というか、SFというジャンルは何のためにあるのだろうか…。
そのことを考えてみるのも、悪くない。
posted by スポンタ at 07:13| 東京 🌁| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0