2016年02月08日

教えなければ、分からない…。

娘も、大学3年の冬を向かえ、シュウカツの時期を迎えた。

シュウカツ予備校に通わせるような経済的な余裕のない我が家では、父と娘で、対策を練っている。

そのスキーム(計画)は、


1. パーソナル分析。(コンピテンシー的な解析。つまりは、過去の出来事から、未来の特性を感じさせること。)

2. 業界分析。

3. 会社分析。(比較検討するから、一社では済まない。)


その作業の中で、娘の行動特性として出てきた(つまりは、私が娘に強いてきた行動習慣)のは、

1.常にアウトプットを心がける。

2.多様な人に対してアウトプットして、フィードバックを貰う。

3.PDCAサイクルをこまめにつくって、それを速く廻す。


である。

*

シュウカツ本やシュウカツ予備校の自己分析で、このような答えが出てくるはずはない。
というか、凡庸な就職先でいいのなら、それで構わないのだろうが、難関企業なら「差別化」はできない。勿論、「差別化」が評価されるかどうかは微妙であり。ただ、ひとついえるのは、十羽一からげで扱われないこと。



私は、「自分だけハッピーならそれでいい」というような人生を歩んで欲しくないから、友人にも「シュウカツのノウハウ」を教えるべしと、娘にアドバイスして、娘は愚直にしたがっているのだが、なかなか上手くいかない。

まずは、マッキンゼーのやり方を知らない。理解しない。

・クリティカルシンキング。
・アンカンファタブルゾーンにあってこそ、自分を成長させる。

というのも、まず、「クリティカルシンキング(資料を批判的に読解すること)」ができない。

私の説では、本の内容の真実は分からない。ひょっとすると、筆者・編集者・出版社の利害の反映であって、客観的な妥当性が持つとは限らない。唯一、真実と期待できるのは、「出版される事情・必要があった」ことだけ。

芸人ヒロシの日めくりカレンダーは、「ピンチは、ピンチでしかない」とあるようだが、マッキンゼーでは、「不愉快な状況こそが、成長を呼ぶ」。つまり、チャンスなのである。



結局のところ、幼児期、湯河原の日帰り温泉に別々に入った時、私は、「男湯には、象がいて、象の鼻からシャワーが出ていた」と真顔を嘘をつき、「親も嘘をつくこと」を教えたのだが、一般的な親は、そういうことをしない。そんなことをしたのは、私が、「嘘をつく親」から、「嘘をつくな」と幼少期に刷り込まれたため、時として、「心理的に追い込まれる」から。

娘には、「人は嘘をつく」ものだし、利己的な嘘はともかく、利他的な嘘なら、躊躇する必要は無い。と、教えてきた。

親から、そんなことを教えられないこどもたちは、「信じること」しかしらないから、クリティカルシンキングができない。3.11で東京電力は勿論のこと、政府もマスコミも嘘を発表したのだが、そんな経験があったのに、いまだに、政府やマスコミを信じる人が多いことは、驚くべきこと。
その一方で、「反戦・反核」などの市民運動が、「無批判に肯定されるべき」と妄信している人達の存在にも驚く。そういう人達は、オリンピックや国際試合で、日の丸を見て、国家を聴くのに、その時は、半島隣国の人達のように反駁しないのに、日の丸や君が代に反対だったりする。つまりは、そのような二つの勢力をつくって、日本を二分し、自己崩壊を起こそうと企てている人達がいないとは限らない…。

しかし、短慮な人達は、「どちらか一方」に参画し、そうでない人達を「ノンポリ」と軽蔑する。
昭和の時代、自民党と社会党が裏でくっついていたことが明らかになっている。与党vs野党などというパラダイムは茶番である…。

*

政府やマスコミにクリティカル(批判的に見る)になる要素は、日常にころがっている。しかし、学校で勉強しかしてこなかった若者たちは、クリティカルシンキングが出来ない。



さらにいうと、コンピテンシー的に、自己を分析・解釈・表現することもできない。

たとえば、スポーツで全国大会に出場したような輝かしい経歴がある若者でも、「自分の決断」で始め、「自分の意志」で達成したという物語性は希薄。

つまりは、親の進めで始めるか、誰もが憧れること(スポーツ・芸能など)を始めるか、指導者のおかげで、栄光を手にするなど、「個人のキャラクター」が見えない経歴ばかり。

進学校から、難関大学に進学したなどというのは、その典型。最近では、東大理科三類に、息子を進学させた母親が有名だが、コンピテンシー的には、「まったく価値がない」。マイナス要素ばかりである。

*

そういう友人達に、娘はアドバイスしても、唖然とされたり、無視されるだけ…。



突然、「自分とは何か?」と、大学3年で問題をつきつけられて、答えられる若い人は少ないに違いない。

わが娘の場合は、中学2年。英語スピーチコンテストの作文をする時、「自分とは何か?」という問題をつきつけ、私が無理矢理答えを出した。

現実は散文的なものであり、物語と遊離していてもよい。
つまりは、芥川賞作家の又吉氏にしても、年がら年中、小節を書いている訳ではない。たった一度、小説が評価されただけで、一生、芥川賞作家なのである。
だから、娘には、防衛戦で勝たないと名乗る資格がなくなるようなチャンピオンではなく、一度取ってしまうと、永久に名乗れるようなものを薦めてきた。野球のイチロー選手が、「打率は落ちるから嫌。安打数なら、一度打ってしまえば減らない」と、安打数に拘った。当然のことである。

「自分とは何か?」という問いの答えを持ちながら、日々暮らしていく。
英語スピーチコンテストの作文は、中学3年も、そして、日本語弁論大会があり、高校2年でも、自分は…。という問いかけが続き、「作文で描いた自分」と「リアルな自分」を対照しながら、日々を過ごす。

その集大成が、「自分とは何か?」「大学入学後、何を学ぶか?」の提示を求められる大学のAO入試である。その真剣度は、一般入試と同じだから、精神的なインパクトは絶大である。

*

一般入試で大学に入学した娘の友人たちの多くは、「(一生をかけて)自分とは何かと、問う」そういう経験がないし、コンピテンシー的に何の価値もない「一般受験での勝利体験」を誇っている。これでは、アドバイスしても、実感を持って、理解できない。さらにいうと、より深くアドバイスしようと思っても、相手の人生をそこまで知らないし、それを決め付けでもしたら、相手の自我崩壊の危険さえなる…。



驚かされるのは、1980年代のフランス現代思想を若い人たちが知らないこと。
たとえば、非線形科学を知っていても、線形科学を知らない・分からない。
複雑系を知っていても、要素還元科学を知らない。
現代の社会体制についても、その前の冷戦は勿論、社会主義が理想だった時代を知らない。

杉田二郎は「戦争を知らないこどもたち」を歌ったが、「モダニズムが否定されたこと」を知らない若者達が多い。または、「モダニズムが否定された」という最新の学問トレンドを隠蔽する教育者たちが後を絶たない。




追記:

面接・面談があり、娘の友人が、「議論になってしまった…」と告白した。
私は話を聞いて、「自己の主張」をする時は、「論拠」・「実例」・「予想される反論」・「その対策(反論の反論・反論を受け入れる・やりすごす・話題を変える。)」をしておくべきであり、友人は準備不足だった。と、指摘した。

つまり、「教科書に載っているようなこと」「マスコミが肯定するようなこと」を、クリティカルに考察することがないから、「不用意に反論・反対される」と、面食らってしまい、「教科書やマスコミの立場」で反論してしまう。自己肯定してしまう。

*

普段から、マスコミにクリティカルであり、自説があり、その反論を予想し、さらに、自嘲・自虐、メタな視点を持っていれば、なんなくやり過ごせるのに…。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタと娘…。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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