2016年02月07日

松下村塾について

昭和の世代が、松下村塾を理想とするのは、仕方のないことだと思いますが、平成生まれの若い人たちが、吉田松陰を尊敬することを、私は、「古めかしい」と思います。

何故なら、「明治維新は、イギリスが日本に傀儡政権を樹立した」のであって、「明治の元勲たちは、イギリスに操られた人達だった」という歴史の見方があるからです。

つまり、日本が独立した国家であれば、明治初年に政府の首脳が全員で2年近くをかけてヨーロッパ旅行に行くことなどありえない。

日本海海戦の勝利にしても、官僚的な日本海軍が弾薬の大部分を使って練習をしたり、西欧製の軍艦を操って勝利することなどありえない。合理的に考えれば、英国海軍の観戦将校が、日本人を指導して、バルチック艦隊を撃破したこととなる。

戦前は英国の支配下、戦後はアメリカの支配下に日本はある。ただし、それは、知識層の暗黙知であり、それを公に口にしたり、反駁すると、昔は、東京湾に浮かんだり、最近では、身長よりも低い高さのところで首吊り自殺で発見される。

カナダの思想家マクルーハンは、「活字がアカデミズムを規定する」と発言していますが、「本を起点とした学問」という発想は古めかしい。

何故なら、「本」とは、編集者や出版社の利害の反映であって、一般的な妥当性・重要度があるとは必ずしもないから。


実は、そのあたりの考察が「フランス現代思想」にあって、「テキスト」の妥当性を疑おうとして、記号論・構造論・脱構築・文化人類学などが発展した経緯がある。現在のニューアカデミズムは、それらが抜けて、アカデミーポストにありつけなかった人の巣窟となっていますが…。

このあたりのことは、「ニューヒストリシズム」や「インターテクチュアリティー」という用語で調べれば、理解できる。



稗史と正史という用語がありますが、「(過去においても、現在においても)稗史をテキスト化することは許されない」という状況が続いているのです。
posted by スポンタ at 06:26| 東京 ☁| Comment(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0