2015年12月25日

東大理Vママに、妥当性はあるか?

息子を全員東大理三に入れた母親に、フィフィが反論をしたのだとか。

曰く、大学受験は、偏差値至上主義だが、社会は、偏差値至上主義ではないから…。
とか。

http://news.livedoor.com/article/detail/10993790/



医学部は知らないが、それは現実であって…。
つか、「神の手」もった医師のことは話題になるが、学歴エリートのことは…。

娘は、「本が読めるだけの奴に(価値はない)…」と嘯(うそぶ)いているが、そういうことだと思う。



フィフィは、世の中は、偏差値至上主義ではない。と、批判したが、そういう問題ではないと、私は思う。

つまり、

明日のために、だいなしの今日を過ごすのは、よくない。何故なら、人生には、今日しかないのだから…。

ということだ。



よく、「留学するために、性風俗に勤めてお金を溜める」なんて話があって、是非が問われる。

この場合も簡単。

「性風俗のお店で働くこと」をエンジョイできるなら、全然オッケイ。ということだ。

それからいえば、佐藤ママの子供たちが、「受験勉強をエンジョイしていた」なら、全然オッケイ。であり、そうでないなら、ダメであって、そうであるなら、東大受験にも不合格になっているだろう。




その中には、さまざまな教育法があるが、結論は、「人生の目的」は、「充実した人生を楽しめること」である。

「楽しむ」というのは、「ディズニーランドで楽しい」というようなものではなく、喜怒哀楽のすべてを感じるような、「生きている実感」を得ることだと思う。

しかし、それがなかなか難しい。



バニー・マニロウは、自分に、歌を歌うようにすすめた祖父に対して、「家族のために費やした人生でした」と評したが、そういう人生は多い。というか、そういう人がほとんどであろう。

その意味では、私は無名ではあるが、「何事かを成そう」と、行動できているだけ、ましということか…。
posted by スポンタ at 07:09| 東京 ☁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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