2015年12月22日

「モダニズムと非モダニズム」の混在の2015年。

先日も、野坂昭如氏が亡くなり、「反戦」の表現者が旅立ったことになる。しかし、「戦争の悲惨さ」を伝えることは、「戦争の重要さ」を伝えることのひとつであって…。運転免許の練習では、見ている方向に(無意識に)進行してしまうことを指摘するが、運転に限るまい。

最近では、レイシズムに関連する報道が多い。
とはいえ、大陸や半島の国家たちは、日本民族に対するレイシズムな発言をまったく恥じない。しかし、それを日本のマスコミが批判する論調が皆無なことを考えると、「レイシズムとは何か」、その本質を深く考える必要がありそうだ。

陰謀論・悪魔教的に考えると、戦死者は「生贄」であって…。などというトンデモ論もある。

最近、BSでは、ナチズム批判のテレビ番組が多いが、その背後に何が動いているのか。どちらにしても、「ナチズム関連の映像番組」は、プロバガンダ番組であることを、私たちは考慮しなければならないだろう。メディアリテラシーである。



2015年を取り巻く今がどういう時代かといえば、1990年代のフランス現代思想が、「近代(モダニズム)は、西欧の文明を礼賛するための物語に過ぎなかった」ことを暴露した後の時代であり、「モダニズムにステークホルダーを持つ人達」は、1990年代のフランス現代思想の結論を、世の中から葬り去ろうと活動しているのが今である。

モダニズムとは、大航海時代に始まる西欧列強の世界侵略の潮流である。

・近代的主観主義に、妥当性はない。
・進歩に価値は無い。


賢明な人は、すでにそれに「気がついている」が、聡明なるが故に、「他者に発信しない」。では、代替的にモダニズムに対照されるものは何かといえば、日本においては、「縄文」や「江戸以前」。西欧においては、ギリシア以前となる。



「モダニズムの洗脳」から、脱却できないでいる人たちの筆頭は、教育界の人たち。
これは、大問題である。




マスコミでは、起業やイノベーションの重要性が強調されているが、現実は、「現実に最適化されている」ので、それなりの妥当性がある。進歩やイノベーションが必要とされるのは、市場が新銘柄を必要としている。それだけのこと。
それに、若者達が騙される…。

娘の大学に起業関連の団体があり、過日、出席したが、起業者の半数は、本来の意味の「起業者」ではなく、大企業グループの「新規事業の担当者」だったことに驚かされた。




今年は、アリストテレスのミーメーシス(芸術は模倣である)という考えを知り、現在が、「モダニズムと非モダニズム」の二つが混在している時代であることを痛感する。


つまり、モダニズムでは、「印籠を出し続ける水戸黄門は、おバカさん」だったが、ミーメーシスにおいては、「模倣を恥じることはない」のだから、どうどうと「印籠」を繰り出せばよい。
posted by スポンタ at 14:50| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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