2015年11月12日

エリック・サティーの音楽。



NHKの番組でサティーの特集をしていて、菊池成孔氏が出演していた。
曰く、19世紀のロマン派の音楽は、情念が強すぎて辛い…。とか。

ふむ。そんな感じ方もあるか…。というか、そのような場合、古典派、新古典派を嗜好するものだが、屈折した彼は、そうではない。

菊池氏は、(言われ続けてきたことだが)「サティーの音楽は、環境音楽の先駆けである…」と。

ま、そこまでは私も知っていたのだが、環境音楽は、BGMなのだから、喧噪の中で聞くべき、と。
実際、酒場のピアニストだったサティーは、喧噪の中で、自身の作品を弾いた…。

環境音楽を、環境音楽として聴くのは間違いで、環境の中で聴くべきとは、気がつかなかった。



アンシャンレジームの時代は、オペラ劇場は、オペラを観るために行くのではなく、オペラを観ている貴族たちを観るために出かけるのだと、最近知ったのだが、環境音楽も、環境音楽を聴くためにあるのではなく、環境を埋めるためにあるか…。

そう考えてみると、AKBの歌・踊りは、若い女性たちの肉体を愛でるためのアリバイでしかなく、そのレベルの低さを批判するのは、アイドルムーブメントを理解していないということになるのだろうか…。

西洋絵画の裸婦像が、抽象表現だとしても、それが具象表現として消費されることもある。…そんな感じ。



大島渚は「芸術か猥褻か」と裁判を行ったが、なんとも元学生運動の活動家らしい、硬直した言論者のパラダイム。正しくは、「芸術は猥褻も」であろうか。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0