2015年10月19日

キリスト教に思う…。

いまだに分からないのは、サイエンスを尊ぶ人たちが、処女懐胎の物語を否定しないこと。
その一方、アメリカでは、キリスト教徒の一部が、進化論を教える学校教育に反発している。とも聞く。
 
宗教の時代ともいえるルネサンス。バチカンの壁画に、聖書の物語とは異なるシーンを、ミケランジェロが描いたとも。

高校時代の世界史の時間で、キリストが創造主なのか、救世主なのかを、会議で決めたと知って驚いたが、宗教的真実が話し合いで生まれるものなのか…。

一体、どうなっているのだろう。



私の結論を言うと、社会への従属の踏み絵として、キリスト教が機能してきたのではないか───。つまりは、過激・異端な宗教に属していないと、自らの潔白を主張するために、家に宗教画を飾ったり、宗教行事に参加したり…。

中世において、神秘主義が弾圧・排斥されたのは有名な話であり、宗教会議で異端の烙印を押されると、コミュニティを放逐される。魔女狩りは、その一つ。
一方、聖人伝説は、異端の正当化という一面を持っている。聖フランチェストが小鳥と話をしたというのも、本来であれば、神秘主義として、異端の烙印を押されたのかもしれない。

近代的自我の時代になっても、霊的能力を持った人間が一定数存在することを、ヨーロッパ社会は認めていて、それが全否定されるのではないのも、不思議である。ジャンヌ・ダルクは霊的な力で、大衆を束ねたという…。

戦時中、現人神として、皇室夫婦の肖像写真が神格化して家々に飾られたが、戦前の人たちが「人間が神である」などと信じていたはずはなく、妄信派を除けば、「天皇は人間である」と公言してはならぬ。と共通理解していたに過ぎぬのだろう。

現代日本でも、隣人が「得体の知らない宗教」の信者であることは、不安をそそる。ならば、ヨーロッパ中世おや。
デカルトの時代。汎神論は、無神論と同じような反発を受けたというが、キリスト教は、それらを表面化させない道具であったのかもしれない。

そのようにして、近代のヨーロッパ人は、キリスト教とサイエンスの間で引き裂かれていたのではないか。




数年前、アフリカの小国の外交官の葬儀に列席したことがあるが、キリスト教の牧師が帰った後、アフリカ人の奥様たちが円陣を組み、祈りをささげていたのを、鮮烈に憶えている。きっと、アフリカに伝わる「招魂の儀式」なのだろう。

つまりは、日本で、神道と仏教がふたつ同時に信じられているのと同様に、アフリカでも、似たような宗教的な状況があるのかもしれない。



繰り返し述べてきたが、世界宗教は他国侵略のツールである。他国に征服された民族は、世界宗教の中に、自らの宗教のカケラを忍び込ませてきた。

そもそも、キリスト教と、クリスマスやハロウィーンが並立することこそ、不自然。八百万な神々に囲まれているのは、日本だけではない。

日本の場合は、修験道のような土着な宗教があり、それが弥生時代に神道に征服され、さらに大和時代に仏教に征服された。そして、明治維新、皇室を現人神にした宗教を試みたが、第二次世界大戦の敗北で…。ということになる。
posted by スポンタ at 13:40| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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