2015年10月01日

朗読と演技(アフレコ・声優)の違い。

プロや指導者を目指す若い人たちに向けて書いている。



こんなことを書いているのは、ティム・バーナーズリーが、人工知能開発に関連して、「理解しているとは、相手のレベルに合わせたアウトプットができること」と、指摘しているから。

または、現在のほとんどのアウトプットが、「発信者に都合のよい情報発信」ばかりだからである。

さらに言うと、リアル、ウェブを問わず、「ネガティブ情報は流通しない・できない」。


*

私の問題指摘は、「シナリオの書き方」の情報、「映画の作り方」の情報は、世の中に存在するが、「シナリオの評価」の情報、「映画の評価」の情報がないこと。

つまり、「(被評価者のための)作法の指南書」はあっても、「(評価者のための)評価・鑑別の指南書」はない。

その理由は、「評価者」が、指南書の内容と対照されて、批評されることを嫌うからであろう。



先日、CS放送で、アンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイアモンド」をやっていたので、チブルスキは、東欧のジェームス・ディーンと呼ばれたと、娘に説明した。
ジェームス・ディーンは、リー・ストラスバーグのアクターズスチューディオの生徒であり、メソード演技の優等生である。
これから、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」を観る。


メソード演技とは、役や自分を深く理解・分析することで、演技に深みを持たせる。そういう手法(メソード)である。
しかし、私の考えるところでは、それは、「メソード(方法)を通じた、演出家による俳優への支配・君臨」である。

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映画「コーラスライン」で、南国の島国身の女性が、「雪を感じられない」ことを理由に演劇教師から「感性を否定され」るが、その教師が亡くなった時、「弔意を感じなかった」ことが描かれている。これは、明確に、メソード演技に対する批判である。

演出家・故・つかこうへい氏の「口立て演出」も、メソード演技の系譜であろう…。


*

昔、テレビ番組を観ていたら、ジャニーズの俳優が、太宰治を演じるにつき、太宰治を熱心に研究した。すると、映画の現場で、「勉強したことを忘れてください」と監督に言われて面食らう。これは、メソード演技の欠陥をついている。

当然である。太宰治は、太宰治として、夜道を歩いたりはしない。お酒の飲み方や、タバコの吸い方に、太宰治的なやり方があるとしても、夜道を歩く時はありえない。
同じように、坂本龍馬は近眼・蓄膿症だったというが、龍馬を演じる時、近眼・蓄膿症を表現することが、よいことなのかどうか。考えてみれば分かる。

*

私の思うところ、メソード演技は、「一生懸命、準備しました」という達成感を演技者にあたえるだけであって、それ以上の価値はない。



上記で何を書いているかといえば、「スタニスラフスキー・システム」の本を読む必要はない。ということである。



昔、朗読に関する月刊誌に、小沢昭一氏が寄稿していた。曰く、「世の中には、分かったような朗読ばかり…」。

これは、巷間溢れている朗読は、詠嘆調であり、継承的、形象的な朗読ばかりである。朗読は、もっと自由に・もっと大胆に・過去のやり方に捉われずに行うべき。ということだろう。

その代表的なものは、民芸調の朗読。代表的なものは、奈良岡朋子氏。
私には、朗読を始める前のブレスが、予定調和に感じられて、嫌になる。つまり、朗読する内容を「伝えよう」というのではなく、「上手くやろう」という意図が、ブレスに表れているのだ。



さて、長くなったが、「朗読と演技」の違い。それを評価基準の側から言うと簡単であり、以下になる。


・朗読は、文言と気持ちが「同時進行」でも、違和感はない。

一方、

・演技では、文言(セリフ)と気持ちが「同時進行」だと、違和感がある。

中学・高校の演劇部の生徒さんたちは、演出を担当するする指導者・学校の先生の言うがままで、自分の価値観をなかなか持てないと思う。

しかし、「朗読は、言葉と気持ちが同時進行しても、オッケイ」。「演技は、気持ちとセリフが同時進行してはダメ。とまず、憶えてしまえばよい。



そして、

演技では、まず、「気持ちが先」・「セリフが先」などと、気持ちとセリフの開始時点に差を持たせることを練習するとよい。

次に、「気持ちの変化」と「セリフの変化」を別々に意識しながら、演じることに挑戦するべき。

そのようなプロセスで、セリフ・気持ち・動作のアイソレーション(別々の制御)が可能になっていく。

演技に限らず、表現、否、スポーツも含んで重要なことは、Relaxation & Isorationである。



古めかしいやり方に、革新的な方法論が持ち込まれたのが、昭和であり、それがさらに進化しているのが平成ということになる。

それら革新的な方法のひとつが「メソード演技」である。しかし、それを誰も否定しないものだから、今の若い人たちは、「メソード演技も知らないで…」と、年寄り世代から批難されかねない。

しかし、ティム・バーナーズリーによる「理解」に心を寄せれば、一言・二言で、大人たちが教えてあげればいい…。

*

私は、ある実存主義者が「実存主義はダメだ」という発言や、栗本慎一郎氏の「マルクスはペテンである」という記述により、「何万冊の本を読まなければならない」というストレスから開放された。
「若い人たちに、無駄な勉強をさせない」ためのアドバイスを、私たち上の世代は行うべきなのである。
posted by スポンタ at 06:59| 東京 ☀| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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