2007年05月22日

アルゴリズムの時代16:労働組合は「並存する多様なアルゴリズムのひとつ」である。

5/25日に、日本新聞労働組合連合のシンポジウムに、パネラーとして参加することになっている。

シンポジウムのテーマは、「ネットは新聞に何を突きつけているか」である。

私は、それにつき、ネットは紙を否定しているのではないと指摘してきた。

それは、次である。

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1. 「新聞社が自分達の成果物をベータ版であることを認めること」

2.  「自分達に都合の悪い言論についても、対話することである」

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だが、それらのハードルを越えるために、まずしなければならぬことは、「多様なアルゴリズムを並存させること」だということに、最近気づくことができた。

気づきのキッカケは、佐々木俊尚氏・森健氏のグーグルに関連する分析である。
佐々木氏・森氏には深く感謝したい。

そして、当日提出したい図は、以下。

すでに15回を重ねてきたアルゴリズム論の集大成である。

【インターネットと既存メディアのアルゴリズム】


arg_the_NET.gif




考えてみれば、労働組合とは、ヒエラルキルな会社組織のアルゴリズムに並存する、逆ヒエラルキルなアルゴリズムである。

勿論、会社が消滅すれば、労働組合も運命をともにしなければならぬから、逆ヒエラルキルであっても、そこでの意志決定が完全な自由であることはない。
ただ、ここで重要なのは、経営者たちにとって、労働組合の中身がブラックボックスのまま保たれており、その意思決定・代表選択の結果が代表者によって伝えられ、経営者と労働組合の代表者の交渉がなされることである。
同様に、風通しのいい会社組織では、ノミニケーションという自然発生的なアルゴリズムが存在し、そこでの意思決定が、経営や組合のアルゴリズムに発信することもあるだろう。

*

だが、現実はなかなかそのように上手くいかない。

先のエントリーでも紹介したが、北海道の農協でセクハラ事件が起きた。労働組合で起きた事件だから、もうひとつ別のアルゴリズムが存在するはずもない。
そのうえセクハラはノミニケーションの席上で起きたという。

これでは、事件が発生するのも、当然である。



同じことを、公立小学校の運営に関して考えてみよう。

教員たちの組織があり、その頂点に学校長がいる。

それに対して、ひとりの保護者では文句もいえないことを集団して交渉するために、PTAがある。

だが、昨今PTAへの保護者の関心は低く、よほどの大問題がない限り、有効な対話はなされない。結果、保護者会はフラット化し、無力化する。

※ フラット化の弊害が起こる場合は、あまりに集団が大きい場合(日本武道館の会議)。もしくは、特定参加者に権威がある場合(女流小説家のオフ会の場合)である。

そのような状態が何年も続くと、学校長は、PTAを保護者への情報連絡のためのツールと捉えるようになる。

PTAは上位下達のためのツールであり、学校というヒエラルキルなアルゴリズムの中に取り込まれる。
もしくは、CGMよろしく、ヒエラルキルに牛耳られる…。

これでは、健全なる組織運営がなされるはずもない。

これが、私が娘の6年間の学校生活を通じて、保護者会で感じたことの全てである。
学校の上位下達ツールになることなどまっぴらだから、私はPTAの役員などつとめなかった。
そして、時に、こらえきれず発言をしてもみたが、フラットなPTAのコミュニティーの中で、私がクレーマーという異分子として周囲から認識されている雰囲気を感じ、口をつぐんだ。



ヒエラルキルな運営組織に対して、フラットなアルゴリズムは無力である。

ならば、労働組合のような逆ヒエラルキルなアルゴリズムのコミュニケーションシステムが重要であり、その中のコミュニケーションが、匿名性を帯びていて、なおかつ、それをオーソライズし、匿名性を保持しながら、外部と交渉する委員や委員会がある。

これは組織のアルゴリズムの有様として、とても理想的なことである。

勿論、それが経営との粘り強い対話によってのみ、有効に機能することはいうまでもない。



ここが一番重要なことかもしれぬが、経営のアルゴリズムの専横が、必ずしも組織を成功に導くとは限らない。逆に、労働組合のアルゴリズムが専横してもだめ。それはベルリンの壁崩壊が証明している。

多様なアルゴリズムの並存と、その結果・代表の対話によって、あるべき道ができる。

そのようにして、アルゴリズムのバイアスを消していく。それがGoogleだけでなく、日本中の組織・集団において必要なことだと考えている。
posted by スポンタ at 17:09| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
些末な指摘で申し訳ありませんが以前から気になっていましたので。

スポンタさんがお使いになっている「ヒエラルキル」ですが、「ヒエラルキー的」という意味としての言葉であるなら、一般には「ヒエラルキカル」(hierarchical http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=hierarchical&search_history=hierar&kind=ej&kwassist=0&mode=0&ej.x=32&ej.y=10
と表記すると思いますので(英語の発音にも近いですし)、スポンタさんも「ヒエラルキカル」にされてはいかがでしょうか。グーグルでも「ヒエラルキカル」なら多数ヒットします。
それともまた別の言葉をスポンタさんは意図していらっしゃるんでしょうか……。
Posted by at 2007年05月22日 19:02
コメントありがとうございます。

ヒエラルキカルが正しいんですね。

そもそも、私は、ヒエラルキーという言葉を使いたかった。

階層的、クラシファイという言葉もあるでしょうが、カースト的なイメージを引きづるには、ヒエラルキーというのが語感としていい感じがしています。

だが、それの語尾が形容詞的なので…。



ヒエラルキー的という語を使うのが、私だけであれば、それは、ヒットされやすくて好都合。

ただし、ヒエラルキーについて知りたい人たちにはヒットされぬ。そういう感じ。

言葉の問題というのは、さまざまな問題を孕んでいる。誤解もまた、理解のひとつではある。

そんなことを考えています。

いま辞書を引いて確認しました。
これから、どうしようか考えています。
こういう対話が重要なんですよね。

アドバイス、ありがとうございました。
Posted by http://plaza.rakuten.co.jp/sponta/ at 2007年05月23日 11:51
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