2015年09月04日

「親は、どこまで行っても、こどもの味方」でいいのか。

東儀秀樹氏の子育てを批判したが、「ビリギャル」の母親が、次のように言っている。

私は、子どもには、全肯定です。叱って、禁止して、何かをやめさせることで、経験上、子どもは、どんどん無気力になり、意欲に乏しくなります。親は、何よりもこれをおそれるべきです。


なんとも母親らしい発言。というか、この発言の「根本的な問題」を、世の中の母親たちは、ほとんど理解しないだろう。



つまり、肯定される「子どもの意志」の妥当性と、「親が禁止する」の根拠が、一切考慮されないことである。

たいがいにおいて、親は「自分の判断」の妥当性について、一切考慮しない。内省的でない。



親の価値観は、約30年前に形成されたものであり、こどもが向かい合っている「今」に、最適かどうかは、分からない。


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私は、高校に入学するにあたって、父親から、これがよいと「三省堂・コンサイス英和辞典」を買い与えられたが、クラスメートの主流は、「研究社・英和中辞典」。例文の多さからいって、三省堂の劣性は明らかであり、高校生活も中盤になって、私は研究社の辞書を買い足した。

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叱る、禁止する前に、その根拠をもう一度考えてみる必要がある。



私は、親と子の間に、「養う側」・「養われる側」という立場の優劣はあっても、「発言の是非」つき、親に絶対的な決定権があるとは、思えない。
というか、いつの場合も、親が正しいと言うのは、合理的ではない。リアリズムではない。




一昨年、友人の息子さん(小学5年生)に(親の目の前で)言ったのだが、「お父さん・お母さんが、君にいろいろなことを言ってくるだろう。でも、君の現実を体験しているのは、君だけ。
つまり、お父さんもお母さんも、君の人生に起きていることを体験していない。
だから、自分で「よく見聞きして、親のアドバイスを受けながら、自分の人生をすすめていくとよい」。




人の話を鵜呑みにせず、クリティカルシンキング(批判的に考察してみる)ことは大切である。

親の言うことを鵜呑みにして人生を進めていくと、とんでもないことになる。ある意味、それが私の人生である。


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小学校の入学式前夜、私は父親に「私は嘘をつきません」と言わされた。しかし、その後、それを強いた父親が、自分の両親や兄弟に平然と嘘をつくことに唖然とする。

嘘をつかないで、生きていけるほど、世の中は単純にはできていない。

嘘をつかないばかりに、人間関係が混乱することも多い。

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私の父と「同じ撤」を踏まぬために、小学校低学年の娘に私は嘘をついた。

湯河原の日帰り温泉。
別々の湯船に浸かったをいいことに、入浴後、「男湯には、象さんがいて、鼻で噴水をしてくれた」
と。

勘違いをしてもらっては困る。
私は、娘をカツイダ、からかったのではない。
真剣に嘘をついたのである。

最初、娘は、私の話を信じていたが、アイスクリームが食べ終わる頃に、ようやく、父親が嘘をついたことを理解したようである。

父子の密室ではダメと考えたので、シナリオの師匠・首藤父娘が一緒だった。




意志決定の妥当性が吟味されるべきなのは、「子育て」においても、同様である。

しかし、重要なことは、「妥当性のある意志決定」をすることではない。

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意志決定から始まるPDCAサイクルを如何に速く回すか。

であって、「意志決定」の回数を増やし、個々の「意志決定」の重要度を下げること。



つまりは、PDCAサイクルの実施によって、「親」・「子」それぞれの「意志決定」の妥当性が、現実によって、フィードバックされ、妥当性が吟味されるのである。



記事には、ポジティブ心理・ネガティブ心理について触れられているが、問題は、心理ではない。

つまりは、「成功しないアイテム」なら、それをポジティブに取り組もうと、ネガティブに取り組もうと、どうでもいいのだから・・・。
posted by スポンタ at 06:51| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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