2015年08月31日

身体を動かさない理由を佐渡氏は理解しない。

「題名のない音楽会」で、管楽器奏者の特集だったと思うが、アマチュアの時に管楽器奏者は、身体を動かしながら演奏するが、プロの楽団員になると、とたんに身体を動かさなくなる。と発言していた。

私は、彼の発言に、嘲笑のニュアンスを感じ取ったが、一般の視聴者はどう思ったのだろうか?



佐渡氏の師匠は、レナード・バーンスタイン氏である。
バーンスタインは指揮者だが、作曲家。代表作は「ウェストサイド物語」である。

「ウェストサイド物語」は、ジャズのテイストを持った楽曲だが、ジャズで一番大切な要素を含んでいない。

それは、スウィング(グルーヴ)である。




かつて、「題名のない音楽会」では、
高校生のジャズバンドが出演し、高校生の「スウィングって、どういうこと?」という質問に対して、
ピアニストの山下洋輔氏は「スウィング(グルーヴ)について、世界中のジャズマンも分かっていない。強いていえば、少しハシったり、出だしが合うのがグルーヴ」と発言。

しかし、スウィングの理屈はすでに解明されている。
コンピュータ音楽には、グルーヴ・クオンタイズという設定があり、コンピュータによるスウィング(グルーヴ)を実現できる。
その仕組みは、「メトロノームのタイミング」から、「音だしのタイミング」をずらすこと。



コンピュータは、メトロノームのタイミングを一定にして、音だしのタイミングを微妙にずらすことは簡単・単純。それも、個別の場所でなく、ひとつの楽曲で固定的なずらしの時間差の値を設定することは簡単である。

しかし、同じことを「人間が行う」のはかなり難しい。

つまり、固定的なメトロノームのパルス(クロノス時間)と、それから微妙に乖離した音だしのタイミング(カイロス時間)を固定的に持つこと。これがなかなかできない。



最近では、これができることを「タイム感がある」などと表現する。

日本人の芸術的時間感覚は、「無」である。したがって、「音がない場合」、それは日本人にとって、いかなる場合も「アタッカ(拍が存在しない)」ではない。

しかし、世界一流の音楽家(海外の音楽家といえどもタイム感のない人は存在する)にとっては、どんな場合も「アタッカ」なのである。



カイロス時間(感覚的時間)だけを持っていれば良い、アマチュア演奏家と違い、
プロの演奏家は「カイロス時間とクロノス時間(メトロノーム的時間)を同時に持たなければならない」。

それこそが、プロの楽団員が、「身体を動かさない理由」であると、私は理解する。


さらにいえば、大昔、指揮者の小澤征爾氏がNHK交響楽団からボイコットされたのは、そうした理由ではないか・・・。



ピアニストの故・園田氏は、小沢氏の師匠の斉藤チェリストと共演したときに、やりにくくて困ったとの感想を隠さないが、その理由も「タイム感覚」の有無が原因であると考える。



先日、「ガイヤの夜明け」で、パリで「白身魚の血抜き(生き締め)」の方法をフランス料理のシェフに紹介する鮨店主の孤軍奮闘のドキュメンタリーを観た。

「活き締め」をするかしないかで、魚の旨みが劇的に変わることを、フランス人の一流シェフは熟考の末ようやく理解する。



音楽における「グルーヴ感覚」。そのもとになる「タイム感」も、誰かが広める努力をしなければならない。



ブイヤベースは、日本人からすれば驚くべきことに、「灰汁を取らない」。フランス人にすれば、灰汁も味のうちということになるのだろうが、日本人が灰汁を取り除いたブイヤベースを飲めば、考えは変わっていくに違いない。

いわんや、グルーヴおや。と思うのだが・・・。
posted by スポンタ at 12:55| 東京 ☔| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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