2015年08月28日

テレビの夏の終戦特集は、洗脳である。

ということに、ほとんどの人が気づかない。それが平成だと思う。

最近、安保に関連して、デモが起き、それを国会議員が利己的な行為と批判して、逆に批判されたが、「ガンジーは暗殺された」のであり、デモで、世の中が変わるなどと考えるのは、甘いというのが、私の「見識」である。

さらにいえば、イデオロギーは、宗教とならぶ、思想兵器。であり、それを操れば、戦争を起すことができる。



「伝染病」を広めたり、主要人物を「病気を装って殺す」ことが簡単な現代において、戦争も、テロリズムも、世相を誘導するための「情報兵器」であると達観することができる。

つまり、国家を殲滅したいなら、地震兵器や気象兵器、伝染病などで攻撃すればよい。
経費的にみても、それに対する反対運動などを考えても、そちらの方が効率的。

ならば、何故、戦争や、テロリズムという手法が行われているのか? を、考察してみる必要がある。

そして、その情報兵器の主たるツールが「テレビ」。




そして夏、8月15日を中心に、テレビは、盛んに、戦争の特集を行った。

テレビ局に就職するような、または、ジャーナリストを志望するような軽薄な人たちは、ヒューマニズム(人道主義)が思想兵器であることに気づかないだろう。

特攻隊はリアリズムであり、ヒューマニズムは、リアリズムを阻止するための思想兵器である。

ヒューマニズムは、人間を思考停止に陥らせる。それは、種・民族・集団よりも、個を優先させるという、「自然の理に反した行動理念」。


ま、筑紫氏や田原氏をリスペクトするような人たちには、とうてい理解できぬ論理だ。



マクルーハンは、「メディアはメッセージだ」と名言したが、それは「メディアは、思想扇動の兵器である」と暗喩したのである。

*

大宅壮一氏による「テレビによって、国民は総白痴化する」との指摘や、電気紙芝居と揶揄されたテレビに、評論家の竹村健一氏は、マクルーハンの「メディアはメッセージ」との言葉で、テレビを擁護した。

しかし、マクルーハンの研究家のほとんどが、マクルーハンを理解しない。

●バックミラー越しの現在

「われわれはバックミラーを通して現在を見ており、未来に向かって後ろ向きに進んでいる」

これも、現在の捉え方についての、マクルーハンの有名な言葉だ。
「マクルーハンにはまだ大きなポテンシャルがある。時間をかけてしっかりと読み返したい」と柴田さんら専門家は口をそろえる。

ならば門外漢としても、まずはマクルーハンを読み直し、そのバックミラーをもう一度、まじまじと見ておきたい。

(2014年4月17日「新聞紙学的」より転載)

http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/media_b_5170253.html


北海学園大学教授の柴田崇氏が、「マクルーハンを読み返したい」などと発言しているが、まったくの勘違いである。

例えていえば、マルセル・デュシャンの「便器の作品(泉)」を、その「作品そのもの」から解読する作業のようなものだ。デュシャンの作品の意図は、「美術館に来て、美術作品を観る」という行為・関係性を、「ひとつのフレーム」として捉え、その中で、「作品」の価値を分離するというものだ。



*

これは、ジョン・ケージの「4分33秒」という作品の、観客・舞台・演奏家の関係性の中で、作品というフレームを意識させる。のと、同じこと。
これに関しても、「フレーム(枠)」を表現したのに、中身で鑑賞しようという御仁が絶えないようで…。

http://shoichi-yabuta.jp/beginners/contemporary/john-cage-433.html

私の指摘としては、ジョン・ケージは、この作品が、ソナタ形式であるだけで、「調性と拍子を指定していない」こと。
ここにおいて、この作品は、楽曲としての前提を拒否していると、私には感じられる…。



*

「われわれはバックミラーを通して現在を見ており、未来に向かって後ろ向きに進んでいる」の解釈だが、私たちは以下と直感する。

私たちは、「理想の未来」に向かっているのではない。車の運行の結果、排出される「排気ガス」の溜まっているところこそが「未来」。
そして、バックミラーにかすかに映る車内の風景こそが、現在。


*

マクルーハン、マルセル・デュシャン、ジョン・ケージの言論や作品を、日本のアカデミストたちが理解できないのは、彼等が「読解(帰納批評)」しか許されておらず、メタ批評・メタ鑑賞ができないから。彼等は、専門家になったとたん、「クリティカルシンキング(批判的思索)」さえもできなくなるから、悲劇的である。




戦後のアメリカで、洗脳が話題になったらしく、新聞の漫画家・チャールズ・M・シュルツは、漫画PEANUTSに、こどもが主人公のストーリーには場違いの「洗脳」を話題した。

…それを、中学時代の私が、月刊SNOOPYで読んでいた。
posted by スポンタ at 07:26| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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