2015年04月02日

挨拶の意味論を、大人は明かさないのは卑怯。

4月である。
挨拶は重要だ。という大人が多いだろうが、意味論的にいうと、挨拶を仕掛ける方が、挨拶される方への、服従を示す。ということになる。

つまり、校長先生が、校門の前に立っていたら、校長先生が生徒に挨拶すればいいのであって、生徒が挨拶をするまで校長先生が待つ必要はない。



つまりは、私、挨拶ができないんです。というのは、自分が格下であることを忍従できない。という、意思表示である。

私などは、関西の血(近江商人?)も入っているし、頭を下げることに、さほどの抵抗感はない。
だから、挨拶することに頓着しない。



挨拶には、もうひとつのシチュエーションがあって、マンションで他の住民とすれ違ったり、山で、他の登山客とすれ違う時に、挨拶をするのは、「私は不審者ではありません」という意味である。



意味論を勘案しないまま、挨拶を強要する。

そういう大人はだいたい、マウンティングをしたい人たちであり、若い人たちは、気をつけるべき。挨拶をして、頭を下げてしまって、やり過ごすのがいいだろう。

posted by スポンタ at 21:20| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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