2014年12月22日

「さいたま新都心 JAZZ VOCAL CONTEST」批判。

昨日、テレビ埼玉でオンエアしていたので、観た。

http://www.saitama-arena.co.jp/jazz/%E7%AC%AC%EF%BC%99%E5%9B%9E%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E6%96%B0%E9%83%BD%E5%BF%83jazz-vocal-contest/

審査委員長の後藤芳子氏が番組冒頭で、「ジャズが衰退している今、沢山の参加者があり、感謝している」というような主旨のスピーチをした。

しかし、この番組、このイベント自身が、「ジャズ衰退」のひとつの原因になっていることを、彼女は理解しない。


ジャズの品質の「評価基準」を明確にしなければ、ジャズファンは「良質なジャズ」と出会うことはできない。より、具体的に言うと、優勝者の妥当性を、視聴者が納得しなければ、視聴者は混乱するだけである。

つまり、一般の音楽ファンが、「ダメなジャズ演奏」に接してばかりいて、「素晴らしいジャズ演奏」に出会っていないから、ジャズが衰退しているのである。
それは、粗悪品ばかりに接していると、その商品分類の愛好者が減ずるのと同じである。つまりは、「悪貨は良貨を駆逐する」である。




コンテストの伴奏は、カウントを取らずに始まる。したがって、協調的(なし崩し的)にバンドのタイム(テンポ)が決定する。
これでは、グルーヴは発生しない。何故なら、グルーヴとは、「タイムからの微細な乖離」だから。
つまり、バックバンドは、ヴォーカリストの音出しに、「アンサンブル(音出しを合わせる)」しようとする。つまり、タイムが揺れるなら、タイムと音出しの微妙な乖離であるグルーヴは、打ち消されてしまうからだ。

ジャズにおいても、テンポルバートは存在する。しかし、テンポルバートから、インテンポへの変化は、印象的に行わなければならないし、その変化こそが、ジャズの醍醐味である。
しかし、この日の演奏は、ずるずると変化していった。



反復は差異である。つまり、反復があるなら、そこに差異がなければ、反復が存在する価値はない。

しかし、コンテストの参加者の殆どが、コーラスが反復されても、歌唱の彩り・風景を変えることをしなかった。
番組後半で、審査委員長の後藤氏がヴォーカルを披露したが、彼女さえ、コーラスが振興しても、歌唱の風景を変えることをしなかった。

このような歌唱で、コンテストが成立しても、上位入賞者のライブに行こうと思ったり、CDを買いたいと思えないのは、当然である。



一般的な日本の通弊だが、「ジャズの雰囲気」を出すことが第一義であり、「歌詞の世界」を表現することは、二義的なようであり、そのことが、ジャズファンをマニア化させている。
つまりは、「ジャズの雰囲気」というマニアな感覚でしか、ジャズを鑑賞することができないのだ。



「スウィングしなければ意味がない」とするならば、ジャズで一番重要なことは、スウィング(グルーヴ)である。

さらに言うと、歌の目標は、「それ(ジャズ)らしく歌うこと」ではなく、「歌詞の世界」を歌手の世界に引き寄せて「表現する」ことである。
しかし、「歌手の世界」とは、日本人の世界であり、洋楽鑑賞者にとっては、それが欠点にもなる。


ロックは、はっぴいえんどに始まる「日本語ロック」によって、日本に定着したが、ジャズでは、「日本語ジャズ」というのは、いまだ一般化していない。



結論を言えば、昭和なジャズ関係者たちは、総懺悔すべし…。

という結論になる。

*

私感を言えば、ジャズヴォーカルとしての「説得力」の勝負となるべきだろう。
しかし、それはポジティブチェック項目(必要条件)であり、その前のネガティブチェック項目(十分条件)の多くを満たす参加者は皆無であり、当然のように、「優勝者なし」となるべく、コンテストだったように思う。





posted by sponta at 14:15| 東京 ☀| Comment(1) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
訂正:

ポジティブチェック = 十分条件

ネガティブチェック = 必要条件
Posted by spt at 2020年05月29日 07:48
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