2014年09月27日

本を読むことは、戦場ジャーナリストになることに同じ。

情報の時代である。

東大の表象学科では、「読解は学問ではない」と言い切っている。
ならば、原典にあたる必要はなく、情報の豊穣の中で、何も、戦場に赴く必要などないのだ。


さらにいえば、「戦場で、ジャーナリストが、安全に存在する」には、そのための構造が必要である。

したがって、「もし、戦場で、ジャーナリストがサバイバルできている」なら、彼が「現場から発信する情報」は、彼を「サバイバルさせている勢力」の利害の発露でしかない。ということだ。




30年程前、最後までサイゴンに残ったジャーナリストをラジオ番組のゲストに迎えたことがある。
リスペクトする小説家が評価していたので、私も、それに従ったのだが、20年以上経ってから、同業者に彼のことを話すと、「あいつはCIAだ」とはき捨てるように言われた。


…そんなものである。



本を読むことは、原典にあたることであるが、それは、達成感を生むにしても、そこで読解したものが正しいかも分からない。
ならば、なまじ、原典を読むよりも、ウエブの要約・解説・感想で済ますほうがましである。

さらにいうと、栗本慎一郎氏は、マルクスの資本論のことを「嘘だ」と言っている。ならば、資本論を読む必要はない。逆にいえば、半年ぐらいをかけて資本論を読めば、資本論の世界に洗脳されてしまう。
それが読書の本質かもしれない。


あるべきは、批判的読解。クリティカル・リーディング。

これがなかなかできない。



自分の生死をかけて取材する。こんなスリリングな魅力に満ちた仕事なんて他にないことを、心理学的に否定できまい。

食べ物で遊んではいけないように、命で遊んではいけない。そう親は教えなかったのだろう。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | 2012パラダイムシフト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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