2014年09月05日

反・松岡正剛という立場…。

見ず知らずの旧帝大系の研究者からメールがやってきて、「貴方の松岡正剛に対する意見は、正しい!」と。そのような専門家からの反応は今までなかったから嬉しいのだが、印象批評である。

どうやら「松岡正剛・批判」で、検索をかけると、トップにヒットするようだ。

*

私は、ルサンチマン(怨念)で、松岡氏批判を書き込んだ訳ではない。私の立論の底には、1980年代のニューアカデミズムに対する理解がある。

その理解は、「過激な読解」と形容してもよいが、次のようなものである。



【ニューアカデミズムの二つの指摘】

1. 進化論以降のアカデミズムは、西欧が他国を侵略するための思想兵器である。
  → したがって、客観的で、妥当性のある論理とは限らない。 

2. ギリシャ以前の「アカデミズムに戻れ。何故なら、テキスト・ログが許された時点で、欠席裁判が始まるから…。
  → プラトン以降のアカデミズムは、エクリチュール(テキスト・ログ)の学問
    ソクラテス以前のアカデミズムは、パロール(話し言葉)の学問

【私の結論】

1. ならば、パロールから、もう一度アカデミズムを始めるべき。

※ 因みに、パロールとは、コンテンツ(テキスト・コメント)に3つの属性(発信者・受信者・場)がリンクしている状態。
  このリンク状態はSNSでは当然。ウェブの時代に、パロールは適している。




私は、松岡氏と一面識もないが、彼をリスペクトする学者たちは、総じて威勢がよいのは、何故だろう。アカデミズムの主観主義・個人主義の洗脳の深さを物語るということか…。

その延長線の出来事か、ニューアカデミズムを真っ先に取り入れてよいはずの先端分野の学会(人工知能学会・情報メディア学会)が、いまだにエクリチュールに囚われ、妥当性を欠くというのは、困ったもの。などと、21世紀に「ソクラテスは正しかった」と感慨にふける。

そんな秋である…。
posted by スポンタ at 21:21| 東京 ☁| Comment(0) | 2012パラダイムシフト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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