2014年09月02日

ニューアカデミズムの系譜

あるアカデミストはこのように隠喩する。

「あなたたちが高校まで学んだ学問は、西欧文化を礼賛するための学問でしかなく、真実を追究するためのものではなかった」。

西欧は、社会主義国家の崩壊(ソ連がなくなった)と、冷戦構造の終了(ベルリンの壁が無くなる)ことで、それに気づくことができたので、学者やマスコミは、「新しい学問・新しい価値観」を模索する動きがありますが、日本は、「圧倒的なアメリカの影響下」にあるので、そういう動きはありません。


「あなたたちが高校まで学んだ学問は、西欧文化を礼賛するための学問でかなく、真実を追究するためのものではなかった」とは、具体的にどういうことかといえば、「大航海時代以来の進化論・モダニズム・近代化」は、西欧が、世界征服をするための「理論武装」であり、「人間の本来のあり方」に近いのは、「文化相対主義」です。
簡単に言うと以下。

進化論:便利な生活のためなら、他人を奴隷にしても、戦争をしても、オッケイ。

文化相対主義:お互いの文化を認め合いながら、便利じゃなくても、なかよく暮らせればよい。


上記が、モダニズム(進化論)批判です。

若い人は、ご存知ないかもしれませんが、マルクスレーニン主義(社会主義国家の思想)というのは、唯物論的歴史観といって、進化論のひとつでした。



ここまでで、近代化以降(15世紀以降?)の学問が否定されたのですが、実は、その先がある。

それは、なんと、ギリシア以降(紀元前4世紀)の学問の否定です。

高校の倫理社会の授業で、「ソクラテスの弁明」で有名なソクラテス。
彼は、「私は知らないことを知っている。だから、君達をよりも賢い」と言った。

ソクラテスは一切テキストを書かなかった。書いたのは、弟子のプラトン。
つまり、ソクラテスは、「テキストを否定していた」のです。

そのように、20世紀後半のフランス現代思想では、「モダニズムの否定」の後、否定すべきものは、それだけではなく、「テキストも否定しなければだめ」となったのです。

*

「テキストが何故ダメか」と言うと、発信者の思いや、その場の雰囲気を捨象して、テキストが一人歩きするからです。


重要なことは、テキストではなく、対話。エクリチュール(テキスト・ログ)ではなく、パロール(対話)。
posted by スポンタ at 08:47| 東京 ☀| Comment(0) | 2012パラダイムシフト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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