2014年02月22日

左翼とは何か…。



俳優・高倉健のことを「幸福の黄色いハンカチ」でしか知らない娘に、テレビ東京・午後のロードショーでやっていた「網走番外地」を見せた。

セリフを張らない。目立とうとしない演技にも関わらず、俳優・高倉健が発している輝きは揺ぎ無いことを、娘も同感してくれた。

主役級には、東映の俳優ばかりではなく、黒澤映画での重鎮・志村喬もいた。

俳優座に代表される「発声法」とは不連続のところで、映画演技が存在していたことが理解できる。

東映・やくざ映画の作劇術は、明確な「アンタゴニスト(キャラクターの対立関係)」と、義理と人情に代表されるような「アンビバレンツ(二律背反)に引き裂かれる主人公」たちである。



ふと、山田洋次監督の「ダメさ」は、ウェブでどのように評価されているのか、ググッテ見ると、「ダメ」という第二検索語はなくて、「左翼」というのがあった。

私は、左翼者の両親に育てられた。だから、左翼思想について分析することは、私の人生を振り返ることでもある。



断定的に言うと、「左翼思想」とは、「国家(コミュニティー)を自爆させるための思想装置」である。

「左翼」の思想構造は、「市民・庶民は虐げられた人たち」と定義することにより、「階級闘争」を発生させること。階級闘争が起きれば、他国の侵略は容易だ。
だから、「侵略を目論む国家」は、左翼思想を他国に植えつける。

最近、ウェブで、「ネトウヨ」などと喧伝されているのも、ソ連の崩壊後、「左翼」に力がなくなったので、ネット上に「右翼」を仮想することで、二極対立を目論んだ人たちが存在するのだろう。



私達の世界は、「多元論」で成立している。そこで、特定の価値観の重要度を詐称して「二元論」を立ち上げる。それにまんまと騙されるような「浅薄な知性」の持ち主が、私の父親であり、母親であった。わが両親は、戦後初の学生運動ともされる内灘闘争で出会ったのだという…。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%81%98%E9%97%98%E4%BA%89

そして、私は、砂川闘争の現地に程近い、立川病院で生まれた。



小学校の頃、秋になると「小さい秋みつけた」という歌を歌わされた。

紅葉まっさかりの美しい景色なのに、「何故、こんな貧乏臭い歌詞」を歌わなければならないのか、私はずっと不満だった。
さらにいうと、何度も繰り返されるタイトルのリフレインが、伴奏を伴わないと進行感がなく、歌にならないことは、致命的だと感じていた。

王朝主義的な「もみじ:秋の夕日に照る山もみじ〜」という歌は、嫌われたのだろう。

「小さい秋…」を、私達小学生に強いたのは、左翼系の教員であった。彼らは一様に活発的で、魅力に満ちていて、慕う児童も多い。しかし、私は何かしかの胡散臭さを感じていた。

青年期の私は「民主主義の国なのだから、国家を批判することは、自分に唾するのと同じ」という思いが強かった。さらに、疑問に思ったのは、「何故、愛国者は批難されるのか───。国を愛することが、排他的行為に直結すると考えるのは、短絡思考ではないか」と。

そんな私が、40歳を過ぎた頃に「イデオロギーとは、右翼と左翼という構造で国体を崩壊される」という論理を知るに至る。



江戸時代の川柳にこんなものがある。

箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、捨てた草鞋を拾う人

ここでの勝利者は、「捨てた草鞋を拾う人」である。

そのように、かつての日本は「複数の価値観が存在するコミュニティー」だったのだが…。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | この国のかたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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