2014年02月05日

上原ひろみさんの演奏を形式批評してみる。

世の中には、主観批評があふれていて、「こともの」の価値を専門家以外が知ることは少ない。
そして、専門家たちも、利害関係に繋がれていて、「客観的で妥当性のある評価」を公にすることはできない。
結果、一般消費者は、すばらしい「こともの」に出会うことができないので、その「ジャンルそのもの」に魅力がないと判断し、マーケットが縮小し、そのジャンルは衰退する。


私は、その典型が「日本のジャズ」だと考えている。
高校生の頃、ナケナシのお小遣いをはたいて「スイングジャーナル誌」を買ってはみたものの、広告ばかりで「何を聴けばいいのか」皆目分からなかった。そんな雑誌が作るベストテンに妥当性があるはずもなく、同誌は、すでに廃刊になっている。

そして、50歳になろうかなるまいかという頃、ようやく「ジャズとは何か」を知るために重要な「ジャズの評価基準」について、考えがまとまった。つまりは、グルーヴについて、そして、ハーモニー感についてである。



ここに、上原ひろみさんの演奏に関する「質問と答え」がある。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1293793317

上原ひろみはアンチが多いですよね?なぜなんでしょうか?
jyuumanhatatiさん

上原ひろみはアンチが多いですよね?
なぜなんでしょうか?

パフォーマンスだけではなくピアノはめっちゃうまい。素人でもわかります。
演奏をし終わった後の拍手はひときわ大きいし、なにしろジャズらしい。
退屈な音を出すだけのピアノの優等生さを感じさせない。
「ピアノは爆発だ!!」芸術性すら感じる。

ピアニストでTVで紹介される技量を持っているのは彼女だけだし、将来性は極めて高い。正直、お金を出して見てみたいと思ったのは彼女だけです。
他のも見てみたけど彼女にしかないものが非常に多いことがわかる。
彼女が日本人である事をとても誇りに思う。貴重な存在であると・・・。

上原ひろみに無いものがあるとすれば、それは、、、、、、バストサイズだけなのではないでしょうか?


ベストアンサーに選ばれた回答kitarou0207さん

「ジャズじゃないのに」・・の意見には相当?です・・
「ジャズすぎるの間違い」じゃないの・・・
まあどこかで聞いたフレーズのオンパレードです、それも相当
豊富で引き出し多い・・それを的確にここぞというときに出す。
・・・・典型的なジャズピアニストと思いますね。
それとクラシックのピアニストがどうのこうの言う人もいるが
比べる意味ないのですよ・違う音楽なのだから
クラシックのピアニストでまともなジャズを演奏できた人は
皆無ですし


setamelbatsさん

ジャズじゃないのに(おそらく本人もジャズだと思ってない)ファンやメディアにジャズ鍵盤弾きと目され
天才(笑)とか過大評価されてるからでしょうね。

わたしはジャズ原理主義でもなんでもないし、ジャズ>>他のジャンルと思ってるわけじゃないですけど
ジャズじゃない演奏家がジャズの大家と呼ばれることには強い抵抗感じますもの、やっぱり。


okayu_sukinanoさん

叩かれる原因の一つとして、チックコリアとのセッションでスペインを演奏したときの出来がどうこう
ってのがあるらしいですが・・まあぞれだけじゃないんでしょうけども。
ジャズの枠を超えたというか変拍子プログレ技巧曲っという体のXYZのような曲をかけるのはすごいと思います。
あと、ミュージシャンに人間性まで求めるのもなんか酷な気が。

【余計なほそく。】
きちんと質問読まないで適当にかいちゃったかなーって。sujigenkiさんの回答読んで反省しました。
まあ、だけど、それほど食ってかかるほどのことでもないんじゃないかな。
他にも見たけど結果としてジャズピアニストの頂点は彼女に決定!大いに結構。それは、例のテンプレ、
「おまえがそうおもうならそうなんだろう。お前のなかではな」というやつ。これって本来は叩き用なんだけど、
よくもわるくも自分がそう思うならそうなんだというのは感情として曲げようのないことだと思う。

だから、技量的にどうこうという観点でそれがまちがってるとかなんとかっていうのは個人個人の主観で決めればいいし
大御所評論家がどう言おうとそれを絶対的なものとしてありがたがる必要もないし、アンチがなにをいおうと、
気にする必要すらないんでないかい?

まーそのー・・そう言っといてなんだけども
思わず苦笑していまうことも確かにあって・・それは技巧的な観点でみて
ペトルーシはDAITAにかなわない
マーク・キングもウッテンもホルモンのひとにかなわない
ドナーティもポートノイも、よしきにはかなわない
ピアニストなら、カミロもキーシンも上原にかなわないっていっても
ジャンル違いは別にして、その人がそう思ってるなら他人がとやかく言うことじゃないのでね。
結局なにがいいたいのかというと、アンチが存在することが許せない?ってこと自体があたしにはわからない。
気にするところじゃないのよっていいたかっただけです。おわり。


dpjtmtpgdjjさん

もし、上原ひろみと同じプレイをお婆さんがやってたら?
もし、上原ひろみと同じプレイを男性がやってたら?
ファンになりますか?
多分ならないでしょうね。
顔がどうとか、バストがどうとか言ってるくらいですから…
上原ひろみの音楽がどうなのか以前に、質問者様の音楽と向き合う姿勢に純粋さを感じません。
上原ひろみの音楽が大好きで、それを叫びたい…
そういう熱い気持ちは、私は嫌いじゃありませんよ。
信念があるのでしたら音楽だけで主張するべきでは?
質問者様はミュージシャンでは無いようですが、上原ひろみの1番好きな曲を何千回も気が狂うくらい聴きまくり、もしコピー出来たとしたら、きっと誰も何も言えなくなりますよ。
もちろん例え話ですが、そのくらいの純粋さで音楽に向き合う情熱で主張されては?
と私は思います。


sujigenkiさん

ピアノがどう上手いか、オマエには分からんだろう、本当のところ。
ジャズピアニストなんて、「たいていハタくように弾いてる」(小曽根真・談)。
つまり、鍵盤最後まで降りてないんだって。
だから、スタインウェイ弾いたってカスカスしたショボイ音になるのよ。
弾けてない弾けてない。

でもね、ジャズはそれでもいいんだよ・・・。
個々のミュージシャンが自分なりに楽器を鳴らせばいい。
それがジャズらしい。普遍的に美しいピアノの音色が第一義的な目標ではない。

みんなの声が異なるようにピアノの音色も異なるのがジャズ。
だから、俺に言わせりゃ、ジャズピアノ界ではMONK がジニアス。
いびつでいいんだ。
その代わり、このピアノの深さはグレン・グールドといい勝負。で、歴史に残る。
そういう意味じゃ、上原さんのも、ちゃんと、いびつなピアノです。

言っとくが、
ジャズピアニストのピアノ自体のテクニックなんて、クラシックピアニストの比ではないよ。
キース・ジャレットでさえ、バッハの平均律が弾けるかどうか??ってところ、実際。
それは音大附属なら高校生でも弾ける。

キースとチック・コリアが、モーツァルトのコンチェルトを譜面見ながら
手分けして(笑)弾いているのをyoutubeで見たが、ちょっといただけない。
http://www.youtube.com/watch?v=BaE0qJ_LQ-w
(あんた、コンチェルトを譜めくりしてもらって、弾いてんだぜ・・・これはちょっとないよな。しかもめっちゃ粒がそろってない粗い音だし。)

でもね、彼らが言っているように、音楽の内側を理解し、自分らしく弾ければジャズはそれでいいんだよ。
クラシカルなピアノの演奏技術だけに焦点を当てるなら、この程度でもジャズ界でなら長く頂点に君臨できるんだよ。
逆に言えば、頂点に君臨できたのは、ピアノの演奏技術自体はジャズにとってはあまり重要なことではないからなんだよ。
だから、仮に上原さんが上手いとしても、他のジャズピアニストたちが上原さんに嫉妬する理由はほとんどないのだよ。

上原さんは、
『上手いように素人に見せるのが上手い』
なので、オマエは素人。
自分でも言ってるけどね。
オマエ、ここでピアノの何を語った?具体的に・・・。
内容は有り体なミーハーの意見と変わらない。

>「ピアノは爆発だ!!」芸術性さえ感じる
てか?

なんて陳腐な使い古された言葉なんだ。
これでピアノの何が語れるのかよく考えてみろよ。

そして悲しいかな、
結局は、バストとか、そういうところに着眼点が行き着くんなら、アダカテとかその辺で憂さ晴らししとけよ。
.................

追記:
キースもチックも上原さんも、ショパンのエチュード程度になるときちんと弾けないと思いますよ。重音トリルなどエチュードに出てくる難しい技法を綺麗に弾けるのかな?演奏で見たことないです(知る限りだけど)。ショパンのエチュードは音大ピアノ科の入試レベルですが、彼らは、多分ちゃんとは弾けないと思います。ちゃんと弾けるのなら、これだけ有名な音楽家たちなのだから、レコーディングして商品化するでしょう。商品にできるレベルではないからそうしないのです。

上原さんがよくやる速いストライドピアノは、ショパンのワルツ程度を数曲きちっと弾いておけばその応用で誰でもできるようになります。小学生でもできる人は少なくないです。ただ、上原さんのはさすがに速いです。しかし、その技を見ても(聴いても)音楽に感動するというより曲芸(サーカス)に驚くということでしかありません。

上原さんの早弾きは、音がカスカスしてます。そして濁ります。松下奈緒さんの場合は、鍵盤がちゃんと下まで降りてます。そして音がクリアです。聴き比べればすぐ分かります。また、松下さんは体全体で大げさなモーションをしません。背筋は微動だにせず、指だけで強い音がでます。ましてクラシック界の第一線級のピアニストならなおのこと明快な音を合理的に出します。
http://www.youtube.com/watch?v=V-X8hDV7YXU&feature=related
(やっぱ、ゲゲゲの女房の方が、ピアノ上手いで。音綺麗や。顔もスタイルも綺麗や。)

ジャズは素晴らしい芸術です。一流のジャズピアニストのリズム感、タイム感は素晴らしいものです。
しかし、クラシック音楽の演奏技術を尺度に測ると、一部に秀でている箇所もありますが、総じて、そのレベルは高くありません。
ただ、そのことで、ジャズという音楽の芸術的な価値は微塵も貶められはしないのです。
なぜなら、以上のすべてを逆に言えば、いくらショパンが弾けようが、リストが弾けようが、ラフマニノフが弾けようが、それだけでは一流のジャズピアニストにはなれないということだからです。

すると、やはり、ピアノの物理的・器械的な技量は、ジャズにはあまり関係がないということになります。

セロニアス・モンクもカウント・ベイシーも、実に味のあるジャズピアノを弾きます。一流の、歴史に残るジャズマンです。


tougyuさん

上原ひろみの他にどのピアニストを聴いたことがありますか?
一度や二度表面だけをさらりとなでる程度ではなくきちんと聴きこんでそのように言われてますか?
音楽の好みというのは人それぞれだということを考えたことはありますか?




さて、書き込まれているのが、素人か、プロか、業界関係者か、まったく分かりません。
しかし、全部が、評価基準を明確にして批評する「形式批評」ではありません。
ほとんどは、「印象批評」であり、断定です。


さて、最後の「回答」が秀逸だったので、そこで引用をやめた。

私の形式批評は、

30秒程、彼女の演奏を聴けば、「彼女にタイム感が希薄なこと」が分かる。
タイム感が希薄だと、「グルーヴしない」。グルーヴは、ジャズで一番重要な評価基準である。

勿論、共演者にタイム感があれば、その問題は解消する。

昭和のジャズでは、タイム感の希薄さは、日本風ジャズとして市民権を得ていたが、平成では、その評価が分かれるだろう。




私が痛感するのは、すべからくプロのアーティストの養成機関は「プロ作品の評価基準を明確にする」ことが主眼にすべきである。ということである。

しかし、それをすると、講師のプロ本人が、「実は二流」ということが分かってしまったり、講師が「もう教えることがなくなってしまう」ので、「評価基準が生徒に教えられることはない」。
機能和声の伝習法がフランスで開発されたとき、バッハに系統する作曲法の教授たちは、「10年以上かかって習得できる作曲法を冒涜する」と憤慨したというが、同じことが、現代でも起きているのだ。(菊池成孔氏の著作より…)



上原氏がタイム感が希薄な理由は、幼少期から、日本を代表する楽器メーカーが主催する音楽教室に通っていたというから、それが原因と思われる。
その音楽教室関連で、ジュニアオリジナルコンサートという活動があるが、その音源を聴けば、「本物の音楽」とは何かが違うと気付くはずだ。

もう10年近く前になるが、月刊ピアノのCDを聴いていたら、「音楽知りの知人」に、そんな気持ち悪いものを聴くなと罵られた。

月刊ピアノ http://www.ymm.co.jp/magazine/piano/

最初のうちは、知人が何を言っているのか、分からなかったが、ジュニアオリジナルコンサートと同じ欠点。つまり、タイム感がない音楽であることに、ようやく気付いた。



私の高校時代の先輩は、ようやく芸大のピアノ科に入学できて、最初にやらされたレッスンが「テンポキープ」だったので、驚いた。と、母校の吹奏楽部の部員の私たちの前で発言した。
彼は、今、教育系の大学の教授だが、結局のところ、彼は、世界的なピアニストになれなかった。ということだろう。

その原因は、彼が「テンポキープをしながら、カンタービレすること」という芸大教授の意図を理解しなかったから、に違いない。
当時の吹奏楽の顧問教師(松本先生)は、「音楽はすべて一拍子」と音楽はすべてテンポルバートと断定した。

当時の音楽界には、タイム感という概念はなかったから、仕方がないことだったのかもしれない。

結局のところ、音楽教室に象徴される日本の昭和の音楽シーンでは、「メトロノームの存在」と「テンポルバートによる自由なテンポ表現」の整合性を取ることができなかったのである。

しかし、今では、タイム感・クリック感・ティックなどという概念があり、「メトロノームによる拍だけ合わせればオッケイ」としたり、「メトロノームによる基礎練習」と「テンポルバートの表現」とは不連続という考えは、日本ローカルな考え方に移行しつつある。



私は、山下洋輔氏が、グルーヴと「ハシル」や「アインザッツ」を混同しているのを奇異に思っていたが、最近ようやく、「グルーヴを正確に定義する」と、「自分の演奏を否定しなければならない」。彼はそういうステークホルダ(利害関係)を抱えていることに気がついた。

これは、国立音楽大学出身者にありがちな弊害で、小原孝氏にもタイム感の欠如は印象的である。
小原氏の演奏と、ピアニスターHIROSHI氏の演奏を比べてみれば、タイム感のありなしが理解できるだろう。







わが師、今村昌平は、晩年、ウェブでのインタビューに答えて、「ボクは昔、北朝鮮礼賛の映画を作ってしまいまして…」と、自作「にあんちゃん」のことを話題にした。時代は変化しているのだから、その中で、自分を客観的に見ることが、私は「知性的な所作」だと思う。

その意味では、上原氏は勿論、山下氏も、小原氏も、私は、批判していない。客観的に自分を見つめ、音楽ファンたちを啓蒙することを期待している。


posted by sponta at 10:09| 東京 ☀| Comment(2) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ジャンルや好き嫌いは別として、結局は聴けば上原ひろみだと分かるところが凄いんだよ。
Posted by 通りすがり at 2020年10月14日 17:07
コメントありがとうございます。

それって、すごいと思いますが、「音楽的にはどうかな・・・?」

音楽と、アスリートは違う。


なんて、思いませんか?
Posted by spt at 2020年10月15日 09:05
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