2013年07月04日

インタビューは安直な方法である…。

というのを、最近の学生たちは知らないようである。

本来、大学は「本質」を追求するものだったはずだが、お手軽に、一流企業に就職できればそれでいい的な流れになっているのかもしれない。

マスコミでは、インタビュー取材をしたとしても、その裏を取るのは、当然のことである。

しかし、そういう思考がないということは、インタビュワー(取材者)とは、インタビュイー(被インタビュー者)に批判的な立場であってはならぬ。というプロモーションな考え方が一般的だということなのだろう。



人間は、本来、自己利益にとらわれた発言をする。

だから、人間は嘘もつくし、格好もつける。

スウェーデンの映画監督・イングマル・ベルイマンは、「人間は嘘をつくからおもしろい」と言ったがそういうことだろう。



話し言葉はパロール。「意味のやり取りをダイレクトに行う」。
だが、インタビューは、「嘘が紛れ込みやすい」極めて「エクリチュール(書き言葉)」な技法である。

「パロール・エクリチュール」といったって、それは、記号論・言語学の世界のことであって、歴史は当事者発信で出来上がっているし、大方のアカデミズムも同じようなものだ。

インタビューを疑う前に、アカデミズムを疑わなければならぬなら、学生がインタビューを信じてしまうのも、仕方のないことか…。
posted by スポンタ at 18:53| 東京 ☁| Comment(0) | ウェブメソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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