2013年05月11日

「集団の意思決定」に「合意」は必要ない。

これが「みんなの意見は案外正しい。The Wisdom of Crowds 」ジェームス・スロウィッキー著が主張する最大の論点だろう。

集団を国家とすれば、「集団の合意」とは民主主義のこと。「集合知」という概念は、民主主義を否定している。

この危うさをアカデミズムの人達は承知しているから卑怯にも、「集合知」なる概念を換骨奪胎して「集団知」「専門知」でしかないものを、「集合知」と詐称する。



「集合知」。または、「集団の意思決定」に「集団の合意」が必要ないことを解説する。

アインシュタインの「相対性理論」を理解できる人は、世界に5人しか存在しないと、かつて言われていた。しかし、彼は1921年にノーベル物理学賞を受賞している。

もし、5人しか理解できないのなら、会議や投票で「集団の合意」を求めても、アインシュタインがノーベル賞を受賞することはありえない。

しかし、こう考えてみたらどうだろう…。

アインシュタインの理論を理解する5人には、それぞれ10人の弟子がいて師匠を尊敬している。その弟子にも弟子(孫弟子)が10人いて師匠を尊敬している。これだけで、5×10×10=500人のサポーターがいることになる。さらに、孫弟子には同僚や生徒がいれば、アインシュタインを評価する人は、すぐに数千、数万になる。


私達の実社会のコミュニティーにおいて、これは珍しいことではない。

若手お笑い芸人たちが、「ああじゃない・こうじゃない」と議論しているところに、中堅が来て「こうしよう」と提案し、若手・中堅全員が「集団の合意」の下に「集団の意志」を決定しても、突然やってきた大御所の一言で「集団の意志」は変更される。
その大御所が若手・中堅からリスペクトされていれば、「合意」がなくても、何の問題は起きない。

勿論、多摩川に入水自殺したウクレレ漫談師のように、コミュニティーの構成員たちからのリスペクトがなければ「集団の意志」と「集団の意思決定」は異なるものとなり、集団はもはや組織として機能しない。



集合知は、民主主義を否定する概念であり、複雑系は、科学を否定する概念。遇有・創発は、人間の意志を否定する悪魔のコンセプト。

それらを突き詰めていくと神秘主義にはまってしまうに違いないのだが、それらを紹介する学者達は、自分だけ安全なアカデミズムの側にいて、若者達を迷路に迷い込ませようとしているように、私には見える。


ニューミュージック同様、ニューサイエンスというのもすでに終わっているというのに…。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0