2013年04月21日

市民参加型ジャーナリズム追想。

2005年当時の私に見えていなかったのは、マスコミが左翼者によって動いており、市民運動も左翼者のたまり場になっているということだった。マスコミ者が高給なのは、言論誘導機関として役割を担っているからであって、高給でマスコミ者たちは骨抜きにされていた。

そして、市民参加型ジャーナリズムの活動のほとんどが終わったときに、「ルサンチマン(怨念)」という言葉に突き当たる。



東京財団で研究をともにした毎日新聞社の元編集トップは、エリートだけあってルサンチマンではなかったが、「ゲートキーパー(権力の見張り番)」なる概念を持ち出し、私を閉口させた。知的エリートの集団のトップであろう彼は、「誰に仕えるのかも分からないまま、自分は門番であると胸を張る」。
その浅薄さに私は呆れるとともに、「昭和の知性の悲しさ」も感じる。



明治人が気骨であり、大正人が軟弱だとのイメージが一般的だが、実は、憂猶論が流布した大正時代こそ、人々が真剣に悩んだ時代かもしれない。

そして、時代は、昭和をはさんで平成。

あれから、8年経って、もう一度市民参加型ジャーナリズムを設計すれば、もう少しはましなものが出来るものを…。
posted by スポンタ at 20:08| 東京 ☀| Comment(0) | 「サイバージャーナリズム論」(ソフトバンク新書) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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