2012年06月21日

人工知能による日本語の意味解析。

長尾真先生の「人工知能と人間」を読んでいる。

ITの世界は、オブジェクト指向で、セマンテックウェブで、ウェブ2.0の後であり、ポストグーグルが現れない。

簡単にいうと、
ヤフーの時代があり、グーグルの時代があり、YouTubeが現れ、ブログの時代があり、リモートタグが現れて、ニコニコ動画も生まれ、ミキシーの時代があり、セカンドライフの時代はなく、ツイッターの時代があり…。
ということか。

そんな状況なのに、ウェブ情報のすべてをインテグレート(統合する)するサービスが一切成立していないことに、私達は気づかなければならない。



オブジェクト指向の時代なのに、CGMという消費者を燃料として見ないメディアしか存在せず、
セマンテックウェブなのに、リンクの量でランキングを決めるGoogleが幅を利かせ、
MXIやFACEBOOKでも、リアルな関係を追随するコミュニケーションしか成立せず、コミュニティーは細分化して、閉塞の度合いを深めている。

何故、そのようなインターネットになっているのか、理由は明らかだが、その理由を誰も明らかにしない。



そんなことを娘に話している。

2ちゃんねるの言葉づかいが悪いのは、国語力で、発信者を鑑別しないというスマートな方法だと、指摘する。
そして、2ちゃんねるは、ネタ消費の文化である。と。
ネタ消費が分からない人に説明すれば、「行列のできる法律相談所」で、イソノキリコが、最近あったことを話しても、誰もそれが実際にあった事とは思わない。そういう感じぃである。



結局のところ、インターネットは、リアルな世界の写像(1対1対応)なのである。

そこで、理想のインターネットを構築するには、写像から、悪しき部分を取り除くことしかない。

そして、「悪しき部分を取り除く」という意思こそが、リアルな人間の持つ「悪しき部分」だとすれば、人工知能による日本語テキストの意味解析しか、有効な方法はない。

というのが、父が娘に伝える結論である。



Time flies like an arrow

この文は、「時間は矢のように過ぎていく」と、「時蝿は矢のようだ」。というふたつの意味解析ができるが、それを解析するには、このテキストの前後の文脈による。
と、日本語にも、そのような例は沢山あって、
「私はまたパリに行きたいと思った」というセリフも、実は、「パリに一度も行ったことがない私」が、またもや「パリに行きたいと思った」という意味において発することもできる。

長尾先生は、自然言語のあいまいさは宿命であり、そのあいまいさを排除するような方向で、意味解析をしようとはしない。
これなどは、アカデミズムの、「誤解を生むような表現はすべきではない」との姿勢の正反対である。



私は、ガ島氏や、元木氏などが、記者教育に手を染めていて、それは、ウェブの時代のジャーナリストにそぐわないと、批判してきた。
ウェブ新時代のジャーナリストは、記事を書く事がコアスキルではなく、スマートな情報流通に対してスキルを持つ人だと考えるからだ。
彼らのような立場は、国語力で発信者を鑑別して、自らの立場を誇るに過ぎない。そのような態度は、読者が一番求めている当事者発信を否定する。



美文など、有職故実でしかなく、それは、参入障壁としての機能しかはたさない。

それは、茶の湯をめでる文化を否定するものであり、アカデミズムと真っ向から対立する文化・思潮である。

情報学というものが、そのようなアバンギャルドなものであることを、情報学者の人たちが理解しているのだろうか…。

マスコミニケーション学、新聞学、ジャーナリズム学の延長線上に、情報学があると思ったら大間違い。というか、既存のマスコミの延長線上で、情報を論じる人たちに、就職斡旋業者としての価値はあるだろうが、学問的な価値は一切ない。と、断言できる。
posted by スポンタ at 19:15| 東京 ☀| Comment(0) | ポストグーグル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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