2011年04月03日

県立川越高校生への伝言:旧制高校的教養の価値崩壊…。

何故、わが母校の生徒に向けてテキストを書いているかというと、日下公人氏が、自分の後輩の東大生たちに、したり顔で自説を説いていたテキストに接したからだ。
だが、元通算官僚の知人に言わせると、彼はチョーギンを潰した人であって、彼は何の責任も取っていない。恥知らずな人だと…。

東大アカデミズムが官学に過ぎず、現実にフィットしていないことは、平成の時代のリベラルな人ならば、誰でも感じることだろう。
官僚的な組織である東京電力なども、その典型であって、責任問題に触れてコメントするような最高首脳部の役員たちは、アカデミズムたちの最高峰だろうが、すでに目力を失っている。
いまのような日本をつくってしまったのは、東京電力という企業ではなく、アカデミズムを根底にヒエラルキー(階層的)な社会をつくってきた日本社会の軋みである。

テレビで東電トップのコメントを見ていて、そこに人間を感じないのは、私だけではあるまい…。
山一證券を潰した社長には、涙があったが、東電の会長には、それさえない。

*

デカンショ、デカンショで半年暮らし…。などという戯れ歌があったという。
デカンショとは、デカルト、カント、ショペンハウエルとのことだが、そういう旧制高校的教養を誇る時代は終わった。



二十年ほど前から、「知性ではなく感性」とのスローガンが、さまざまなところで言われてきた。

また、「こころの時代」とも言われている。

それらの本意を私たちは考えるべきである。

はっきり言ってしまえば、「知性ではなく感性」、「こころの時代」。それらのスローガンは、東大アカデミズムの否定。もしくは、相対化である。

そういう暗喩に気付かなければいけない。

*

つまり、旅グルメ番組で、タレントが、「この料理は、歯ごたえがいいですね」と言ったら、その料理は「不味い」という意味なのだ。

映画批評で、この映画の美術は素晴らしかった。とあれば、「この映画のシナリオはつまらない」の暗喩なのだ。

そして、さんまの令嬢が出ていて、さんまの話題になったら、それは、「有名人の娘以外の価値がない」という残酷な指摘なのだ。



私が、何故、わが母校の後輩たちに、テキストを書いているかといえば、「平成の世の中は、東大アカデミズムでは乗り越えられない」ことを指摘したいからだ。
しかし、社会で指導的な立場に立つためには、東大アカデミズムに染まり、大学受験を突破しなければならない。
そのためには、洗脳されることを覚悟で、いったん洗脳されて欲しい。

洗脳されることを知って、洗脳されれば、脱洗脳は容易ではないかと思うのだ。

そして、そういう来歴を持っていれば、カルト教団に取り込まれることはないし、先端技術を扱うようになっても、アインシュタインのように、科学が世界を滅ぼしたなどという罪悪感にさいなまれることはない。

アインシュタインの時代から、すでにかなりの年月が経っている。

原爆禁止を訴えてオシマイなどという時代は終わっている。

平成の生まれの君たちに期待している。
posted by スポンタ at 09:46| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 県立川越高校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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