2011年04月01日

県立川越高校生への伝言:君たちには、見えていない社会の矛盾がある…。

明治維新の延長として、平成日本の社会体制があることは、疑いようがない。

そして、平成日本の社会システムを見渡せば、「社会が進歩するもの/理想を追いかけるもの」とするなら、どうしても納得できない社会構造になっていることに気がつくはずである。


ウェブ研究家である私は、中央集中処理よりも、複数分散処理が理想なのに、ウェブがそうなっていない現実に、「見えていない原因要素」があることを直感した。

そういう矛盾は、世の中の至るところに存在する。



たとえば法治国家という制度や、資本主義といった当たり前の習慣にさえ、制度設計的な根本的な疑問があることに、気がつかなければならない。

死刑制度を一つ見ても、その是非が無限回路のように議論され続けている。そして、その軋みが現代の価値観を揺さぶっている…。

だが、極悪非道の人がいたとして、それを死刑にすることを巷間宣伝することに何の意味があるのだろうか…。

社会の恥部は恥部として、あるべき情報の処理の仕方があるに違いない。
それをセンセーショナリズムで報じるなど、どう考えてもオカシイ。

*

人からお金を借りることは、善行ではないのに、資本主義においては、銀行からお金を借りること。株式市場からお金を借りることを前提に企業運営が成立している。

たとえば、司法立法行政の三権分立というフランスから導入した制度があるが、これは中国でいえば三すくみ。こんな制度で、国の運営が上手く行くはずもない。

だがら、それらを学校というエスタブリッシュから教えられてしまうと、私たちは疑うことを失念してしまう…。



たとえば社会に出て、会社を経営すれば分かる。

借金をしないことは良識だろう。しかし、借金をしないと税金を沢山払わなければならぬ。

オードリーの若林君が、一軒家を現金で買うのが夢だと語っていたが、ファイナンシャルプランナーなら、そんなバカなことを薦めはしない。

企業経営においても同様で、無借金経営が理想だが、そうすると、税金を沢山払わなければならない。結果、銀行から借金をして、事業を拡大し、節税をするのが、常道手段だ。

さらにいえば、銀行という制度は、銀行は100万円の預金高があれば、100億円を貸してもいいというシステムだという。ならば、銀行をグループ内に持った企業と対等に渡り合うことなどできぬ。

ディスカウント競争などしたら、敗北は目に見えている。

ならば、彼らと上手く取り入りながら事業をすすめていく他ない…。

*

それが必然だと思っているなら、浅薄。西郷隆盛は、そのような矛盾にいち早く気付いて、米本位制という農本主義を貫こうとした…。

経済では、「見えざる手」などというが、見えざる「手」が存在することを誰もが認めている。
それは、誰の手か。そう考えていくと…。



火急目標である大学受験のために、大いに東大アカデミズムに洗脳されるがいい。しかし、晴れて大学生になったときには、洗脳された自分を解いていってほしい。

それが、効率的な人生のやり過ごし方であって、青春の蹉跌とばかりに、洗脳されまいと受験勉強に呻吟することに何の価値もない。



わが母校、県立川越高校生ばかりではない。日本の明日を担う高校生たちに、私のメッセージが伝われば、私のような無為な人生を歩むことはない。

そう、断言できる。
posted by スポンタ at 09:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 県立川越高校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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