2011年02月13日

スポンタの「この国のかたち」07:日本書紀、古事記を正史だとすれば、稗史(敗れ去った者達の歴史)はどういうものか…。

冷静に考えれば分かることだが、大陸から日本に軍事的な侵略があったのが、歴史上・元寇のみということなど到底考えられない。


そして、中国大陸・朝鮮半島の戦乱激動を考えれば、ポートピープルのような非組織難民ばかりでなく、国家ごと亡命してくるような組織的な難民もあったに違いない。
つまりは、紀元前3世紀に始まる弥生文化の来朝は、秦漢巨大帝国の全盛期に発生したことを思えば、日本の歴史の発生時点において、何が起きたかもイメージしやすいのではないか。

文化人類学では、「テキストを残す」ことは、事実とは違うことを世の中や子孫たちにアピールしたいが為に成立してきた。という。

つまり、みんなが知っていること、当然のことをわざわざ貴重な紙や筆や墨を使って書き残す。または、石に刻む、骨に刻むなどということはしないのである。
さらにいえば、「そのようにして残されたテキストが現実とは異なる」なら、歴史(文献学)を拒絶する「平和主義な文明」もあったに違いない。
そういう「国家という簒奪システム」を拒絶し、「歴史という諍いの種」を作らなかったのが、縄文文明である。

このような反省が文献学たる現代の歴史学に無いのが疑わしい…。ならば、歴史学は学問ではない。つか、学問の語源であるスカラーとは、学説を指すものでしかなかった。その語源に、いまの官学の徒は胡坐をかいている。


縄文文明は1万年前からというから紀元前8000年頃に始まるというが、ボートピープル的に散発的にインドネシア・ベトナム・雲南省あたりから黒潮ルートで日本にやってきた人たちが形成したのが、ネイティブジャパニーズ。天の王朝/天の朝という国家が、琵琶湖に存在したという説もあるが、海女族であり、アマテラスであろう。
どちらにしても、「日本人が日本に自生した」などというのは、科学的にも、歴史的にも考えられない。

そこに紀元前300年以降、金属文化を持った北方民族・武装騎馬勢力が侵入し、農奴を支配した。それが弥生時代ということになるだろう。チンギス・ハーンが墓を残さなかったことから見ても、彼らには墓を作ることでステータスを誇る習慣はない。(上陸地点としての敦賀、出雲。当然、樺太からのルートもあったに違いないが、縄文時代の東北地方は豊かで外襲勢力を撃破していたのではないか…。)

そして3世紀以降。「始皇帝稜をトピックスとするような中国勢力や朝鮮からの亡命勢力」たちの組織的な侵入が開始され、古墳時代が形成されていったのだろう。(対馬・五島ルート)

そして、663年、白村江の戦いの敗北を持って、日本は中国勢力の支配下に落ちる。勿論、その時に敗北したのは、日本・百済の連合軍であって、中国勢力に支配される前に、朝鮮半島勢力の支配下にあったことが伺われる。歴史は単純ではない。

【国内勢力のまとめ】

大和:唐系:藤原王朝 → のちの大和政権・奈良・平安とつづく…。

岡山:中国系:吉備王朝(鎌足) → 貴族階級となる。

裏日本・北陸:白山王朝(新羅系騎馬)→ 地下水脈として精神的に残る。(山岳信仰系)

神奈川・曽我:蘇我王朝 → 源頼朝で捲土重来を期す。

琵琶湖・中部:淡海王朝 → 地下水脈として精神的に残る。(近江商人?)

九州:アソ王朝 → 地下水脈として精神的に残る。 (薩摩?)

天の王朝:蘇我馬子・入鹿(鹿島説)



ここまでが、古事記・日本書紀に捏造された「自生的日本起源説」を否定する概要である。私は、自説を誇っているのではない。
あくまでも、今読んでいる本の覚書。そして、その出典を明らかにしないのは、その出典さえも確証のないものだから、明かすことに意味がないからである。

そして、正史・稗史というが、勝利者達は、正史を「真実らしい嘘」にするために、稗史を拝借しているから、ややこしい。
そして、勝利者達は勝利後、君臨する手間を省くために、敗者との共存を指向したり、敗者との同化が起きているので、事態は複雑であり、どちらが敵、どちらが味方なのか判別のつかぬ混沌とした状況が起きていく…。

その意味では、古事記・日本書紀といえども、まったくの虚偽ということもいえぬ。事実は事実として正しいのかもしれぬが、その解釈が捏造されたりもする。

たとえば聖徳太子は存在しなかった。とする説が昨今では有力だ。それは、蘇我政権が万世一系の天皇制を断絶したことを隠すために捏造されたとの説もある。だが、蘇我政権は仏教を取り入れることに熱心だったし、その手柄を聖徳太子が乗っ取った。とする説が有力だが、蘇我政権が天の朝であり、ネイティブジャパニーズ系だとするならば、それさえも捏造ということになる。蘇我政権滅亡に即して、仏教普及を大いに取り入れたのが実際であり、そのプロバガンダをするために仏教に帰依する聖徳太子像をつくったのかもしれぬ…。



さて、ここまでは、ネイティブジャパニーズの稗史であり、アカデミズムと相互対照統合すべき「もうひとつの日本史」である。

だが、これはあくまでも、ロゴス的世界史でしかなく、もうひとつ、現世・今生を越えた神秘主義的な日本史があると私は考えている。
posted by スポンタ at 06:52| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | この国のかたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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