2011年02月11日

スポンタの「この国のかたち」05:皇国史観とネイティブジャパニーズ。

デンマークの留学生に日本文化を説明するにつき、いろいろなことを考えた。

というか、折角私と出会ったのだから、本に書いていないことを伝えてあげるのが、誠実だと考え、私の思うところを語った。

とはいえ、短い時間で、日本を語ることなど無理な話であって、彼女と別れた後に、さらに様々な考察に至った。



ウェブが私たちに指摘してくれることは、情報の対照化である。

つまり、紙数の限られないインターネットでは、情報は無限に対照化できる。したがって、「ウェブの時代は、誰でも、正史と稗史を同時に愛でることが可能なのだ」。

皇国史観(万世一系の天皇家が日本の精神的支柱でありつづけてきた)に、対照すべき歴史観は、「日本の政治機構の中心にあったのは、常に大陸勢力の傀儡政権だった」という歴史観である。

奈良の大和政権がそれであり、それはドメスティックジャパニーズの物部氏を滅ぼすことから始まっている。

藤原氏の藤は音読みで唐であり、藤原氏は唐の傀儡政権であり、百済出身の天智系をあやつったり、新羅系の天武系を操ったりしたという。

ひと頃の蘇我政権も吉備のあたりに出来た中国系勢力の系列であり、弥生時代がはじまった紀元前3世紀頃より、日本列島の中央集権はつねに外来勢力たちであった。

というのが、最近の研究らしい。源氏は北方騎馬民族であり、平氏は西南海女族系。

そして、鎌倉政権は、西南海女族系である伊豆北條氏と高句麗系騎馬民族系の源氏が徒党を組み、中国・南朝鮮系の朝廷を打倒した。という解釈が成り立つらしい。

そして、そのような時代の変化の中で、ネイティブジャパニーズは賤民として存在していた。ネイティブジャパニーズとして知られるのは、征夷大将軍・坂上田村麻呂に打ち倒されたアテルナぐらいのものだろう。

そして、その学説によれば、良民と賤民の比率は1対1万であって、賤民には子孫を残す権利はないから、従順な奴隷のみが子孫を増やすことを許され、サラブレッド的に優秀な隷属的な賤民たちが増えていったのだという。

この説が自虐史観に援用され、天皇制廃止論を導いてきたのが、戦後のイデオロギーの一面だったのかもしれない。だが、私は、そこで天皇制廃止論に結び付けようとは思わない。

何故なら、縄文的日本文明に侵入してきた、「弥生時代以降の外来勢力たち」が、まるで理解できない、奇妙なことをしているからだ。

因みに、矢切史観によれば、享保20年までは日本人の95%が部落に入れられていたという。つまりは、士農工商などというけれど、農民とは名主階級を言うのであって、農民は被差別者であった…。とすれば、被差別部落出身というのも、恥じるべきではない。河原乞食たる演劇者もほとんどの農民も同じ立場であった…。

そして、昨今もテレビ芸能人が被差別部落出身を隠している。とのネットの噂があるが、それらは、人々の劣等感と優越感を操りながら、人心を掌握していく権力側の詐術。それに操られるのは浅薄であろう。




日本の歴史を思えば、ネイティブアメリカンのことを思えばいい。
西欧の白人の侵攻のあと、ネイティブアメリカンは海辺の土地を追われ、痩せた土地に追いやられた。そして、西欧社会に順応できないものは殺され、西欧社会に順応できたものは奴隷や召使になった。グレートブリテン島も同様だろう。ノーマンコンクエストなど、さまざまな侵略を受けながら、ドメスティックな人たちは辺境の地に追いやられる。

だが、グレートブリテン島やアメリカで起きたことと、日本で起きたこととの決定的な違いがある。

それは、ネイティブジャパニーズの言語である日本語が温存されたことである。
アメリカの公用語は侵略者の言語・英語である。そして、グレートブリテン島の言語・英語は、侵略者達の言語・ゲルマン語の伝統を引く。
しかし、そのような祖語的な関係を持つ言語を日本語は持たない。

ネイティブジャパニーズの言語はアイヌ語だとする言語学者もいる。そして、侵略を受けなかった唯一のネイティブジャパニーズが沖縄だと指摘する者もいる。私は言語学者ではないので、そのあたりの関係はよく分からないが、どちらにしても、支配した土地において、支配者達が自らの母国語を使わなかった。これは、まことに奇妙なことである。

主人が奴隷達の言葉を使う。
そんなことがあるだろうか。

中国系と朝鮮系が主導権争いで統一言語をつくれなかったとしても、ならば、中国語か朝鮮語かのどちらかに近い言語になるはずであろう。
また、良民の数が絶対的に少ないから、言語を賤民たちに強制できなかったとしても、良民達が自らの母国語を捨てる理由にはなるまい。

とすれば、「日本語には、何か特殊な魅力があり」、「大陸からやってきた侵入者たちも自らの母国語を捨てた」。
そうとしか、考えられない。

その魅力を一言でいえば、「言霊」ということになるのかもしれない…。




韓国では、日本バッシングが盛んだが、KARAや少女時代のタレントたちが、一生懸命日本語を勉強しているところをみると、彼女たちが、日本に憧れていることがよく分かる。
勿論、日本の女性たちが韓国語を勉強している姿をみると、私たち日本人も韓国に憧れている…。

しかし、それはあくまで第二外国語としてであって、母国語を捨てるところまでは行くまい。
とすれば、日本に寄生した大陸系支配者たちの心に何が去来したのか。

そこまでさせた日本語の魅力は何なのか。私たち現代の日本人も気がつかなければならない。
posted by スポンタ at 05:40| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | この国のかたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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