2011年02月07日

スポンタの「この国のかたち」01:日本は情治社会である。


大相撲協会は八百長メールの発覚に関連して、「これを機会にすべての膿を出す」と言っているが、「すべての膿が出し切れなかったら、大相撲協会は消滅するしかない」のだろう。
とすれば、「すべての膿を出すことよりも、膿を生じる構造を解消しなければならない」。

だが、大相撲協会の当事者も、有識者も、ファンも、「スポーツとお相撲は違うよね」と漠然と感じているばかりで、ことの本質を理解していない。

ことの本質は、日本人独特の心象風景であって、それはグローバリズムという世界統一思想とはまったく別のところにある。
そして、私の直感からいえば、それは日本というローカリズムではなく、グローバリズムに対峙したもうひとつの極−−−。

新たなカテゴリーを設けて、「この国のかたち」を論じていくが、初回において、すでに結論を書いてしまう。



日本独特の心象風景の特徴は、「八百万の神に準じる多元論」である。それが、「特定の価値観を過大評価する二元論」が専らである西欧が打ち立てたグローバリズムとは根本的に異なる。

具体的にいえば、ハーバード大学のサンデル教授があやつるような「正義」の概念に価値はない。彼が題材にする漂流するボートに残された余命いくばくもない人たちの社会で夢想される正義と、一般社会を営む人たちの正義は異なる。というか、異なっていい。

小泉前首相は、「政治家の出処進退は、政治家本人に委ねられるべきものであって、他人がとやかく言うべきものではない」と事あるごとに連呼していたが、個人によって、正義・大義は異なって当然なのだ。自律主義・自裁主義。それが日本の伝統である。

NHKが教育テレビをつかって、二元論の定着を日本人に試みようとも、私たちの考えがそう易々と変わるものでもない…。ある意味、サンデル教授は、マスコミの論理を宣伝しているに過ぎない。



さて、今回の大相撲の問題。

問題はどこにあるのか…。

ちょっと見方を変えてみる。

たとえば、こんな話だったら、私たちは批判できるだろうか…。

*

いやぁ、今度、一緒に汗を流してきたアイツの両親が田舎の人たちを引き連れて本場所を見に来るんだってさ。アイツは昔不良をしていて両親に迷惑をかけてばかりだったじゃないか。本人は、ガチンコで頑張りますっていっているけど、怪我をしてるアイツの今の状態じゃどうかな。俺も親に迷惑ばかりかけて親孝行ができてないので、人事とは思えないんだよね。あいつのためになんとかならないかな。

後輩のところに赤ん坊が生まれるんだよ。でな、いま十両を落ちたら、出産費用も無くなるだろ。先輩の俺としては、なんとかしてやりたいんだよね。俺が前に都合をつけておいた星をなんとかできないかなァ…。


*

お金が絡んでいるから、八百長への批判がダイレクトになるのであって、これが人情話となれば、日本社会はきっと許してしまうのではないか。

情状酌量ということになるのではないか…。と、つとに思う。



土曜日の「目がテン」では、「中国人は何故あやまらないか」、「何故、日本人はすぐ謝る」のかをテーマに実験をしていたが、導き出した結論は、「日本は、謝れば許してもらえる社会」であり、「中国は、過失を認めたら責任をとらされる社会」だからである。

この違いを突き詰めると、「日本は人の心持ちがすべてに優先される社会」であり、「中国は、人間の感情よりも物質が優先される社会」ということである。

たとえば、物を壊した場合、物が壊れたことよりも、壊す時に怪我をしなかったことを心配するのが、「日本人の良き心根」である。
それは、「何が何でも勝つことを優先する社会」とは異なる。



審査競技のフィギュアスケートではすでに「審判に賄賂(心づけ・タクシー代・花代)を渡さないで勝利すること」は、ほとんど絶望的になっている。

日本サッカー協会も、そろそろそのことに気がつかなければならない。でないと、何時まで経ってベスト16止まりだろう。
つか、賄賂は渡していないにても、審判のタクシー代や食事代、お土産代ぐらいは出しているのかもしれない。(未確認・まったくの想像)

というか、「そんなことをするくらいなら、ベスト16で構わない」それが日本社会である。

*

つまり、拝金主義(貨幣価値を絶対視する処世)は、日本人の心象風景にそぐわない。



大相撲の八百長に関しても、拝金主義的な八百長は廃絶すべきだが、人情話的な八百長を排除していいのかどうか。

つか、排除できるはずもないし、何よりも不思議なのは、あのようなベアナックの格闘技において本割で死者が一人もでていないことである。

全取り組みガチンコにするなら、当然、死者が出て当然である。
そのような覚悟を、大相撲協会・文部省、そして、ファンが決めているとは私には思えない。

どちらにしても、「スポーツ」などという西欧の視点で大相撲改革に取り組むと、とんでもないことになる。

それだけは、確実である。
posted by スポンタ at 08:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | この国のかたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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