2011年01月24日

スポンタ子育て80:本番がこどもを成長させる…。

スパニチ!!『英才教育TV』
2011年1月23日(日)ごご2:00から

http://www.tbs.co.jp/program/spanichi_20110123.html

という番組を観た。

出演者が口々に言っていたのは、「子供が興味を持ったものをやらせる」というものだった。
経済的に余裕のあるタレント氏は、少しでも興味を持ったものはすべてやらせると豪語していた。

我家の場合…。
娘が、「バイオリンをやりたい」と言ったので、「ごめん。うちの経済状態じゃ無理だ」と娘にあやまって、ピアノにしてもらった。





さて、番組では、父親が作曲家:服部隆之。母親がバイオリニストの女の子(服部百音さん)がバイオリニストになるための英才教育をドキュメントしていた。

ロシア人の先生にレッスンをしてもらうために、日本国内はおろか、ヨーロッパに何度も出かける。女の子の努力も並大抵ではないが、この家の経済力もかなりのものである。
つか、お父さんが服部隆之、おじいちゃんが服部克久氏、曽祖父が服部良一氏なら、当然のことか…。番組の中で、お父さんの服部隆之さんのことが一切紹介されていなかったことが、卑怯に思える。



娘が簿記の試験から帰ってきたので、この番組の最後の方を一緒に見た。

服部百音ちゃんのお母さんも元バイオリニストだけあって、コンサート直前のホテルでの練習は凄かった。

少女がベッドを見て演奏していると、観客席は戸棚の方向と指示し、ベッドをみていてはダメと叱る。
それまでは、譜面が真っ黒になるまで書き込んで、レッスンをしていた母娘だったが、本番を控えて協演者を巻き込みながら、いかに観客に訴える演奏をするかを意識したアドバイスをしていた。しかし、少女は戸棚を観客席に見立てたイメージトレーニングがなかなかできない。そして、無意識に下を向いてしまう彼女に母親の檄が飛ぶ。



本日が、アフレコの応募の最終日だったので、娘と録音をした。
台本は、

1. ふと気付いて相手に口走り、
2. 口走ったことを失敗したと焦り、
3. 口走ったことの先を聞こうとする相手に怒る。

そういう三つの部分から構成されていた。

30秒ほどのセリフだが、
1. いいアイデアに気付いた嬉しい気持ち。
2. 口走ったことへの後悔・焦りの気持ち。
3. 相手を拒絶する抵抗・怒り。

この3つの気持ちをセリフにあわせながら、変化させていくというものだ。

音楽であれば、
音量を、mfで入って、途中ppになって、最後fffならできるだろう。
テンポを、アンダンテで入って、ラルゴになって、プレストになるのもできる。
だが、3つの感情を、10秒づつ変えて行くことがなかなかできない。

そこで、まず、台本を見るために下を向くことになっているので、それをやめさせる。
手を組んだり、手が所在投げになっているので、手を上げさせる。
しかし、そんな単純なことがなかなかできない。

そして、まず、感情をフリーにするために、喜怒哀楽のそれぞれでセリフを演じてみる。だが、その意図を測りかねているのか、やらない。できない。



そういえば、朝、「ボクらの時代」に、蜷川幸雄、東山紀之、生田斗真の三氏が出ていて、蜷川演出に生田氏が納得しないと、不満さを隠しきれずに稽古していたというのを、娘と見ていた。
生田氏は、理解しないと動けないタイプらしい。しかし、俳優にとって、「理解しないと動けない」というのは、けっして褒められない。

私は娘に説明する。

もしお前が、お前自身の役の主人公を演じるとする。当然のことだが、お前は、お前自身のことをすべて知り尽くしている。しかし、お前が近所のコンピニへ行くシーンを撮影したとしよう。そこで、お前がもし、「自分の人生について表現しようとする」ことなど、馬鹿げたことだと思うだろう。
お前は、自分の人生を考えながら、コンピニなど行かない。お前は、アイスクリームを食べたい。と、ウキウキして歩いているだけだ。否、ほとんどの場合、何も考えず、歩いているだけのはず。そのシーンに観客がお前の人生の何かを感じようとも、それは演技者であるお前には関係がない。

*

もうひとつ説明した。

セルゲイ・エイゼンシュタインのモンタージュ理論というのがある。

たとえば、人の顔のアップがあったとする。無表情の顔であっても、その前にカレーライスの映像が編集/モンタージュされると、人の表情が「カレーライスを食べたい」という表情に観客には見える。

俳優の北村和夫氏は、カンヌ映画祭のグランプリを受賞した「楢山節考」の撮影で、季節の関係で、他のシーンを一切撮影していない時点で、母親がなくなった後のシーンを撮ったが、完成試写を見ると、自分が何も考えることができないで撮影したそのシーンが一番心を打ったと印象的に述べている。因みに、北村氏は、「真面目な百姓は、舐めて肥やしの具合を確認する」と、今村昌平監督に言われ、肥え桶の中身を舐めさせられた俳優である。

では、モンタージュ理論にしたがって、人の顔のアップの前に、カレーライスではなく、ウンチだったらどうなるのだろうか…。
私は、エイゼンシュタインの理論にしたがって編集をすると、人の表情が「ウンチを食べたい」と見えるとは思いたくない。



理解することに捉われていると、俳優は肉体を自由に動かすことができない。私が娘を問い詰めても、泣きそうになるだけ…。

そこで、それこそが「演じる」における「自分の殻」である。と、娘に解説する。

セリフと気持ちと体を自由にコントロールすることが、いかに難しいか。そのことを娘は実感してくれただろうか。

コントロールする前に、まず自由にしなければ始まらない。
それさえもできない。



応募締め切り2時間前の出来事である。

そのような締め切りがあってこそ、娘と真剣に話すことができた。

本番とは重要なものである。稽古ばかりしていたのでは、永遠に気付くことはできない。
posted by スポンタ at 09:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | スポンタと娘…。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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