2010年01月20日

私たちは「民主主義」を疑うことができるか…。

脱構築と書いてきた。

脱構築は「ニ項対立の克服」と。





しかし、その実際は、戦後私たちが「金科玉条としてきた理想」の妥当性を疑うことであった。



戦後の私たちは、アメリカが投下した「自由」「愛」「幸福」「正義」などという言葉により「洗脳され」、結果、「他者と戦うこと」を促されてきた。

それらの理想の集大成が「戦後民主主義」である。

戦前の民主主義は、「欧米列強の批判を抑えるために拵えられた制度」であって、その中途半端さから、様々な汚職・不正を生んだのだろう。戦前の民主主義はけっして不完全な民主主義ではなく、「民主主義という体裁をととのえた」に過ぎぬ。これは、奈良時代に平城京と律令制を導入した大和朝廷にならったやり方に違いない。



だが、日本の伝統文化は、「自由や愛や正義や幸福のために、他者と戦うことが人生の目標」ではなく、「つねに自らと戦うこと」を是として営まれてきた。

つまり、私たち日本人にとって常に重要だったのは、「他者に勝つこと」ではなく、「お天道様に対して誠実であるかどうか」だった…。



戦いにおいても、嘉納治五郎の「自他共生」に通じる。

それは、柔道に限らず、相撲に限らず、オリンピックに限らず、国際関係にも…。

戦いは盛り上る。だから、オリンピックは楽しい。
だが、勝者と敗者を生む戦いは、好戦的な思想を誘発する。




そう、考えることはできないだろうか…。

情報が錯綜・混乱する現代において、重要なことは以下と言われている。

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1.複数のニュースソース。対立する複数の意見に接すること。

2.既成概念や自分の立場に捉われず、自分の頭で考えて見ること。

3.「最終的に誰に利益があるか」を考えて見ること。

そして、私が新たに加えたい項目は、

4.「もし誰にも利益がない」と思えるなら、あなたに「利益を得ている者たち」が見えていないこと。

である。

たとえば、イスラエル建国に始まったなかば永遠な戦争状態の継続。どう考えても「イスラエルな人たちのリアリズム」が約束の地に拘泥する理由は疑問・希薄だし、当然のように、パレスチナな・アラブな人たちの利益もない…。

ならば…。

*

私もオーマイニュース日本元編集長の元木氏同様に、「それ以上を語らない」。

http://www.cyzo.com/2010/01/post_3621.html

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勿論、オブジェクト的指向(情報そのもの、発信者情報、評価系情報、加工系情報など、すべてを等価にして考察する)ことは重要である。
posted by スポンタ at 07:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ポストグーグル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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