2010年01月19日

パラダイムシフトとは、脱構築のことだったのか。

さて、私の友人は去年、「パラダイムシフトとは、新しい価値観が創出されるのではなく、複数のパラダイムが相対化される」と語った。

「ウェブから導き出された新しい価値観を見つけた」と、有頂天になっていた私は、冷水を浴びさせられるとともに、新たなる考察が始まった…。





要は、「代替的な変化」ではなく、「相互補完的な変化」が、これから始まる。

ということであろう。

そして、このところの記事で書いている「二項対立から、多項目参照の時代」というのも、そういうことだと思う。

だが、私たちは、「明治以降の西欧文化の流入」において、あまりに「ニ項対立」を自然に自らの思考の中に取り入れてしまった。

隠された意図も気づかぬままに…。



しかし、それらの流入が本格化したのは、戦後。定着したのは、ここ30年ほどのことかもしれない。



たとえば平等。

終戦直後、GHQが日本社会にこの言葉を広めたとき、人々は「ヘイラ」と読んだ人がいたという。

平等という概念が日本にやってきたのは戦後である。

だが、「個の才能・能力が多様である」なら、個を均一化して考える「平等」思想に妥当性はない。



たとえば幸福。

私は、30年以上前になるが、1977年のNHK銀河テレビ小説「春の谷間」の竹下景子演じる主人公が、母親に言われたセリフを憶えている。

学生運動に目覚めた娘に母親は言う。
「あなたは学校で勉強なんかするから、幸福なんてハイカラなことを考えるのよ」
寒村の農家の主婦に「幸福」などという言葉は要らぬ。
そんなセリフだったのかもしれぬ。

後年、ラジオの現場でお会いしたこともある脚本家・田中澄江氏のセリフ…。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%BE%84%E6%B1%9F

このテレビドラマは、学生運動を回顧する物語だったと思うが、学生運動に対してかならずしも肯定するような内容ではなかった。と、記憶する。
夫君の田中千禾夫氏も左翼系ではないことから考えると、脚本家が「幸福という概念を知らぬ農家の主婦を嘲笑して吐かせたセリフ」とは、とうてい思えない。

多分に、1908年生まれの脚本家の実感といえるのではないか…。

テーマソングだった、松任谷由美の「晩夏」で思い出す人もいるかもしれぬ。



個の価値観が多様ならば、幸福という価値観も多様。
ならば、画一的に幸福を求めることは無為である。

そのような現実にもかかわらず、戦後に欧米から思想が流れ込んできて、「経済的成功のみが幸福感に寄与する」という妄想が一般化してしまう。


だが、「金色夜叉」を読んでも、経済的な成功が人間を幸福にしないことは理解できる。



明治・昭和を経て、私たちが「金科玉条」にしてきた理想たちの妥当性が問われている。

posted by スポンタ at 09:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ポストグーグル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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