2010年01月17日

アーキテクチャと思考の場所(本質論)

というシンポジウムに行って見ようか。と、思う。

http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60



日程| 2009年1月28日(水)

時間| 17時30分〜20時30分

会場| 大岡山キャンパス 講堂

講師| 浅田彰
磯崎新
宇野常寛
濱野智史
宮台真司
東浩紀(司会)


…ってことらしい。

浅田氏は脱構築後の思想を語るのだろうが、それが縄文な思想までたどり着けるかといえば、なかなか難しいのではないか。





ここからは、じっくりと考えながら読んでみてください。私は、私の考えを強制はしませんから、閲覧者の人たちがマッサラな気持ちで、考えてみてください。

多分、これが50年生きてきた私の一番重要な結論かもしれません。






スポンタが直感的に断ずるに…、

「脱構築が、二項対立からの逃走・脱却を目指す」なら、「奴隷制度を民主主義に内包していたギリシア時代」さえも、主人・奴隷というニ項を前提に成立していることが分かる。つまりは、パンテオンという数多の神が存在していたが、ギリシアはニ項対立の芽はすでに発生していた。

それが、ローマ帝政において、民主主義と皇帝を宗教にした一神教は始まっていき、キリスト教と合体し…。



Wikipediaの民主主義の説明には、

「民主主義または民主政(democracy)とは、諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制をいう。」とある。

この文言を解釈すれば、民主主義とは「誰の意見でもない」「誰も責任を取らない」行動決定システムとの解釈がなりたつ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9

民主主義の根底にある「平等思想」は、私たちの「個の多様性から来る実感」とは相容れない。ならば、「民主主義」の妥当性は思いの他低い。


実際問題、現在の日本の社会設計においても、「機会均等」や「弱者救済」という施策があるだけで、「平等」などという空虚な論理は、まったくもって実現していない。



宮台真司氏は、「民主主義が一度もなかった国・日本」 (幻冬舎新書) (新書)
という本を書かれている。

http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%8C%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%AE%E5%8F%B0-%E7%9C%9F%E5%8F%B8/dp/4344981529

私たち日本は、日本が「民主主義が一度もなかった国」なことを誇りに思うべきである。



日本は「絵空事な平等な個を求めていく国」ではなく、江戸時代に戻り、「分相応な個が闊歩する国」を理想に再構築しなければならぬ…。

私は、昨年、青年会議所で宮台氏の講演を聞いたが、その言論の空虚なこと、おびただしいものだった。(勿論、アカデミズムに洗脳されている人たちは感ずるはずもないが…)

2009年とは、2010年とは、そういうものなのだろう。



…ということでした。

私の言論をなぞるのではなく、それぞれの思索をしていただければ幸いです。





結局のところ、いかに「既存のアーキテクチャーを越えるか」。なのだろうが、どう考えても、西洋的な知性の持ち主の彼らがたどり着ける場所は…。

と、考えてしまう。



たぶん、国会図書館の長尾先生が指摘した「ウェブでさえ語られないこと」の重要さを、彼らが感じ取っているのか。それは、はなはだ疑問である。

6名の俊英たちが、「語ることのできぬもの」を持ち合わせているのか。

そのことだけを楽しみに、参加してみようと思うが…。



小沢一郎氏も、鳩山由紀夫氏も、小泉純一郎氏も、竹中平蔵氏も、みな「語ることのできぬもの」持っていると、私は確信する。

メディアとはそういうものであり、「語られぬものが存在すること」がメッセージなのだ。



そういえば、今日、TBSラジオで久米宏氏の番組を聴いていたら、彼は「これだけ寒いと地球温暖化なんて嘘なんじゃないかって思ってしまいます」と、ジョークを飛ばた。

そして、小沢氏元秘書の逮捕に関連して、「マスコミが検察がリークした裏取りができない情報をそのまま流している」としながら、

「私は一週間の出来事をまとめて話をする仕事をテレビやラジオでやってきましたが、このところは、何が起きているのか、これから何が起こるのかまったく分からない不透明な時代になってしまいました。こんなことは初めてです」と、驚いて見せた。


それを聴いた私は、「久米さんは、知っている・分かっているのだろうな」と、ニヤリとするのです。(^^;)



英国の風刺は軽妙なジョークなどではなく、現実を変えることのできない人たちの魂の叫びだったのではないか。

と、節に思うのです。


追記:
よくデータを見てみたら、このシンポジウムは2009年のものだったのですね。だから、当然、行くことはできない…。(2010年01月27日記入)

posted by スポンタ at 02:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ポストグーグル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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