2010年01月18日

脱構築とは、ニ項対立からの…。

脱構築を、簡単にいえば二項対立からの脱却。





脱すべき構築は、ギリシア以降のもの。

ギリシアの哲学者プラトンは紀元前427年 - 紀元前347年に存在したというから、脱構築はそれ以前の世界に戻ることを言うのだろう。

そして、ギリシアが他国・隣国の支配を最初に成功させた例であり、そのスキルがローマやその後のヨーロッパに伝承されていったとするならば、その前に存在したであろう文化とは…。

それを直感的にいえば、紀元前4世紀以前のケルト文化か…。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA

それを日本に当てはめれば、紀元前3世紀以前の縄文文化…。

ケルト・縄文というふたつの文化が長年の繁栄の歴史を持っていたにも関わらず、ヨーロッパと日本という遠く離れた場所で殆ど同時期に、ローマや弥生文化に瞬く間に陵辱されていったことは注目に値する。

ケルト文化は多神教であり、文字を否定したという。これなどは縄文文化のイメージにかなり近い。
一神教的な宗教を持ち、中央集権的なコミュニティーを成立させなかった両文化は、一神教的な文化に出会うと劣勢著しく、周辺地域に追いやられた…。

勿論、ケルトは鉄器文化であり、好戦的でもあったから、私の直感的なイメージでしかないが…。



一神教的な文化が二項対立を呼ぶ。

二項対立が成立する限り、私たちは「平和のため」に戦争を仕掛けることができる。

しかし、多神教的な世界観では摩擦や対立も多極化し、戦争に収斂することは難しい。結果、現象界の矛盾は、内観的によって自己統一が図られる。



二項対立(代替的)において、
プラスとマイナスは反発する成分であり、どちらかが肯定され、どちらかは否定される。この思想・思考が「他者制御」に繋がる。ここにおいて、「制御する者たち」と「制御される者たち」が誕生する。
「プラスとマイナス」、「天使と悪魔」に気をとられていると、その裏に、「メタな悪魔・メタな支配者」が存在することを見逃してしまうのだ。


一方、多神教的世界観(相互補完的)では、
陰陽は対極的にバランス・平衡を理想として扱われる。ここにおいて個は、その存在と認識を内観することで「自律的」になれる。



二項対立の典型的なものがヘーゲルの弁証法とするなら、私たちが学校で学んできたアカデミズムな学問をすべて疑ってかからなければならない。

私はアカデミズムなエリートではないから、このよう考察を自らのステークホルダー(利害)を毀損しないでできる。

だが、大学教員などは、自らの存在を揺るがせかねないから、思考することすらできない…。



それがフランス近代思想が脱構築で頓挫した一番の理由であり、30年程前、浅田氏が脱構築を語りながらも、「逃走論」に逃げた真相・深層ではないか。
posted by スポンタ at 06:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ポストグーグル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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