2010年01月16日

2010年の脱構築とは何か。

西洋思想が、脱構築を叫んでから、どれほどの年月が流れただろうか…。

私は、9.11をキッカケにした「気づき」をもとに、「アメリカなる思想」に対抗するために、脱構築が思想されたと思ってやまない。

脱構築とは建築用語だが、週刊朝日の最新刊には、アメリカの建築家による9.11の爆破説が掲載されている…。



ハイデッガーにデリダ。

Wikipediaによれば、

脱構築は、言葉の内側から階層的な二項対立を崩していく手法である、といえる。

デリダは、プラトン以降の哲学が、ロゴス中心主義に陥っているとし、また、エクリチュール(書き言葉、デリダにおいては二項対立で劣位に位置する概念全てに当てはまる)に対するパロール(話し言葉、エクリチュールとは逆に二項対立の優位に位置する概念)の優越を批判した。

とはいえ、この批判は、エクリチュールのパロールに対する優越を意味するのではない。それでは単なる階層的な二項対立の優劣逆転に過ぎない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%A7%8B%E7%AF%89




軍産複合体なるものが存在し、世界中に戦争・紛争を引き起こし、巨額の富を成していくという陰謀が成立するなら、「二項対立(二元論)」は極めて有効である。

また、軍産共同体なるものが、自国ではなく、他国を戦争・紛争に巻き込むなら、「他国は中央集権的」でなければならない。

つまりは、世界に、「二項対立・二元論」の思考が普及し、「中央集権的なコミュニティーモデル」が存在するなら、『他国支配』は容易に完成する…。

ここにおいて理解できるのは、江戸時代の日本がその対極にいたことである。

私たち日本人は、「八百万の神」を報じる多元論・多神論という世界観を持つ。
そして、江戸幕府の実際が、幕藩体制をもとにした「連邦制に近い状態」だったことである。
江戸時代。将軍は王様ではなかったし、天皇も教皇ではなかった。



ハイデッガーやデリダが軍産複合体について興味を持っていたかは分からない。
しかし、彼らがドイツ人であり、フランス人であったことをみれば、シニカル(冷笑的)にアメリカを見ていたことは容易にイメージできる。
posted by スポンタ at 15:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ポストグーグル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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