2010年01月14日

翳り行く昭和な知性。

倉本聰氏のインタビューがあった。

http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/100104.html

私の青春時代。彼は憧れの人の一人だった。
だが、その彼も色あせている。



アカデミズム・エスタブリッシュな側からの「上から目線の発言」。

彼は、若い人たちの「想像力のなさ」を指摘するが、人間の想像力という基本的な資質が数十年のサイクルで変化するとは思えない。

もし彼の周りで変化しているとするならば、彼があまりにも「偉くなってしまい」、彼の周りには、「彼の名声のおこぼれに預かろう」とする浅薄な輩が集っているだけのことである。

*

もし、このブログを読んでいるあなたが倉本氏のインタビューに違和感を全く感じないならば、あなたは明確に昭和の人(アカデミズム・イデオロギーに洗脳されたままの人)である。



間違ってはいけない。

資本主義は歴史的な必然ではなく、ひとつのイデオロギーでしかない。




昭和な時代は、教養主義的・アカデミックな時代だった。
しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、アカデミズムの一つの柱であった「マルキシズム」は一つの仮説・物語でしかないことが判明した。

そして、2008年の「リーマンショック」と2009年の「ドル価値崩壊」により、NY証券取引所を中心に展開してきた「資本主義」もひとつの仮説・物語でしかないことが分かってきた。

イデオロギーの正体が分かりつつある今、アカデミズムがどういう時代をつくり上げてきたののかも、多くの人たちが理解し始めてきた。

これが昭和から平成に至るひとつの流れ。
もうひとつはインターネットが実現していること。
つまりは、階層的・ピラミッド構造・クライアント&サーバーな社会構造が、ウェブ的・クラウド的・分散処理的な構造に移る流れ。



私は昨日、凡庸な成績の娘の内申書を見たが、凡庸な評点ならば、その向上にこれからの数年を費やすことはない。と、娘に断言した。

ノーベル賞の小柴先生は、「受動的学習能力」と「能動的学習能力」を分けて考えたが、娘には、ペーパーテストなどという「受動的学習能力」に注力することはほどほどにして、「能動的発信力」に注力することをめざせとアドバイスした。

英語弁論大会で世田谷区で優勝し、全国大会に出場しても、英語の評点は芳しくない。
友人とハモれたり、ピアノとドラムができても、音楽の評点は最上ではない。

娘は、そのような特異な存在である自分を活かすべきである。




話を戻そう。

二つの流れを指摘できないと、平成を論じることはできない。だが、平成になって、20年が立つというのに、この時代を語る人がいない。

なぜなら、平成の時代においても、アカデミズムとイデオロギーの要求を満たしてきた人材にしか、これまで社会的な発言権がなかったから。

娘には、アカデミズムとイデオロギーの枠を越えた領域に挑戦して欲しいものである。
…それが私の社会に対する復讐ととられても仕方のないこととして。
posted by スポンタ at 16:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ポストグーグル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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