2009年10月11日

ザ・カードは、フォークソノミーの最小単位。

さて、マスコミ界の新人たちを使って行なうフォークソノミーというソシアルトライアルを企画している。

フォークソノミー(民衆的分類)を一言でいえば、次世代グーグル。

そう思っていただければ、ことの重要さが理解できるだろう。

フォークソノミーこそが、ウェブがこの世界にもたらすパラダイムシフトの中核。

そして、それを成立させるための必要不可欠な要素が「ザ・カード」。



ザ・カードは、フォークソノミーのための最小単位・モジュール。

ザ・カードは非コンテンツ制作者が作る。これにより、ザ・カードは客観性・中立性を帯びる。ただし、その重要度の決定権はザ・カード自身にはない。ザ・カードがさらに他者によって評価されることによって、ザ・カードの重要度が決定される。

勿論、非コンテンツ制作者といいながら、利害を共有するものたちが制作し、利害を共有するものたちが評価を下すかもしれぬ。ただ、その場合も、固有コミュニティー評価タグを準備し、明示する。exam......ミンス、トクア、ツキジ...etc.



ザ・カードを想定すると分かることは、いままでの出版物はほとんどが自己評価によって成立していたこと。

つまりは、作者には自分の原稿の価値を決定する権利はないし、出版社にも自社の出版物の価値を決定する権利はない。
なのに、出版社は一方的にその価値を決定し、販売部数を決める。販売部数によって、書店に並べられる冊数が決定し、それが書籍の売れ行きに大きく左右する。

テレビ局も、自局の番組を宣伝するが、その謳い文句が正しいかどうかは疑問…。というか、マイナス評価を禁じられた、極めて歪な言論空間。

そのような桎梏を抜け出すための仕組みがザ・カード。




ザ・カードの存在によって、読者は帰納的読解の手間がいらなくなる。

この存在は厳しい。
物語作者は、ネタバレと営業妨害と訴訟を起こすかもしれぬ。
厳密主義の学者も、抵抗を起こすに違いない。

だが、世の中のすべての事象はトランプのカードに書ける字数での抽象化は可能なはず。

理解することはできなくても、オリジナルコンテンツを読むべきかを判断するための情報だけは記述できるはずだ。



ザ・カードは従来の他人の凌ぎには手を出さない。という業界の相互不可侵条約的な因習を打ち破る…。だから、オリジナル関係者からの反発は必至。

そのための対策として、ザ・カードの執筆者は匿名とする。

ザ・カードの価値は、第四者の評価によって行なわれる。
これにより、ザ・カードにリンクされるオリジナルコンテンツの価値が類推できる。



ザ・カードは歯に衣着せぬ言論でなければならぬ。訴訟も当然のように予想される。ならば、エロサイトと同じように国内にサーバーを置くことはできない。

結果、フォークソノミーは「亡命メディア」となる。




すべての言論はセルフブックマーク(自己評価)発信でしかない。

だが、ザ・カードは違う。
署名者が匿名であることで、自己評価発信を逃れる。

そこがウェブ時代の革命的できごと…。
posted by スポンタ at 08:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブメソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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