裁判員制度の開始を前に、滝川クリステルさんや安藤優子さん、鳥越俊太郎さんら民放各社の報道番組でキャスターを務める8人が東京都内で記者会見を開き、「裁判の透明性が増して『真に開かれた司法』となることを期待して導入される制度。その実現のために取り組む」とするコメントを発表した。
http://www.asahi.com/national/update/0519/TKY200905190330.html
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滝川さんは「(非公開の)公判前整理手続きや(裁判員の)選任手続き、適切に行われたか検証することが重要な評議と、制度には三つの『ブラックボックス』がある」と指摘。
さて、「ジャーナリズムの傲慢・浅薄さ」としか形容の仕方がないのだが、彼らは「知る権利」を100%疑わない。
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そもそも、「伝える」ということの本質を、テレビジャーナリストたちは理解していない。
「伝える」ことは、ただ単に、右のものを左に移すのではない。テレビ・新聞が「伝える」ということは、「伝えられるものの重要度を高める」こと。
たとえば、フジテレビの「とんねるずの皆さんのおかげでした」のお土産コーナー。ここで、ジャニーズタレントのお土産は、店名が明かされない。何故なら、店名が明かされるとファンがその店に殺到し買いあさり、お店に迷惑がかかるからである。ここにおいて、視聴者は「知る権利」などと批判せず、納得する。
自分の影響力を心得ている原監督は発言の影響を考え、自分が使っている歯ブラシのメーカーの名前を言わない。
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今回のインフルエンザ…。
テレビジャーナリズムは、政府が発表したことをそのまま流す。盛り上げるビデオを編集して危機感をあおる。これこそ、過剰反応を誘発させるコンテンツづくりである。
政府も政府だが、マスコミもマスコミである。
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テレビジャーナリストたちは、身の丈にあった報道ということを考えているのだろうか。
テレビの視聴者は数千万人のレベルである。その人たちの印象に訴えることの是非を考慮したことがあるのだろうか。
今回の裁判における「情報要求」は、マスコミ者たちの言論誘導のための材料を豊富に仕入れたい。その要求・宣言としか思えない。
ステークホルダーほしいまま…。
何故なら、知っていることは最大限センセーショナルに伝えたい。それがメディアの本質だから…。
彼らはスクープしか求めていない。否、「日本社会」よりも「自分のメディアの繁栄」を優先する。
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女性が受けた性犯罪について、裁判員制度が犯罪被害者の精神的苦痛を増すのではないか。と動く人たちがいる。当然のことであり、妥当性のある行動だと思っている。勿論、さまざまな問題はあるが、ひとつの争点ではある。
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日本社会がひとつの社会。それは認めるとして、それはいくつものレイヤーを内包している。
それを認めなければ、成熟した社会は成立しない。
「知る権利」は純粋律ではない。もっともらしい嘘。
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こどもの喧嘩に親は口をはさまないのと同様に、夫婦の寝室にこどもは入らない。否、寝室に入らなくなった時こそ、こどもが大人になった…。
世の中に「知る権利」などない。「知らないふりをする」ことこそ、成熟した大人の所作。
喧嘩の現場にいかなくとも、こどもたちの人間関係は分かる。だから、喧嘩とは違うフェイズで説諭すればいい。
こどもたちにしたって、大声を張り上げていたパパとママがヒソヒソ話を始めるたことに、何も感じぬはずはない。父親と母親からの干渉が突如止む。ドアの向こうで何をしているかぐらいは、理解しているだろう…。
追記:
クリステルさんが先輩たちに従ったのは当然の行動。そのステークホルダーをスポンタは否定するものではない。
ただし、前世代と行動を共にする必然性は減じて行く。どこかで袂を分かつべき時が来る。
勿論、一緒に消え去ることも可能。…お天気お姉さんのように。
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2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。



