2009年04月02日

小説先祖供養_98

出会い。
「先ほど質問をされた方ですよね」
 私は初対面の彼に声をかけた。
「え、あなたは?」
「いや、単なる一般の出席者です。でも、今日の学会には本当にがっかりさせられました」
「そうですか。私も同感です」
 その言葉をきっかけに、男性は学会の権威の前では話しきれなかったことを堰を切ったように話し始めた。
「睡眠中無呼吸症の息子を持つ友人と私は、大学の応用工学の同じ研究室で勉強した間柄なんです。私は卒業後、企業に就職し石油化学工業の世界で新素材の研究開発の仕事をしていますが、彼は大学に残り、その後、公立の研究機関の主任研究員を長年勤めてきました。学生時代のある時、こんなことがありました。正月返上で卒業論文用の実験を行っていた時のこと、共同実験が失敗に終わればふたりとも卒業できないという瀬戸際でのことです。除夜の鐘を聞いた私が、『実験の成功を祈りに初詣に行こう』と提案したことがありました。私はその時、彼の言った言葉がとてもおかしかったので、鮮明に覚えています。『お前、初詣なんていう非科学的なことを持ち出すんじゃない。もし、初詣が本当に実験に影響を及ぼすとしてみろ、前回の実験と今回の実験の条件が違ってくる。条件を一定にして実験をするのが実験の基本だと、担当教授は口をすっぱくするほど言っているじゃないか』。私はその時、彼の言葉にジョークを感じました。しかし、彼は心底そう思っていたのです。彼はその当時からつい最近まで、科学者として唯物論者であることが条件であると思い、自分が唯物論者であることを誇りにして生きてきました。大学を卒業した後、私と彼は別々の道を歩みはじめましたが、私も彼も研究で壁にぶち当たっても、けっして非科学的な神頼みをしないというのが持論だったと思います。でなければ、研究開発では日常茶飯事の実験の失敗を前にして、原因を徹底的に分析し、あたらな推論を立て、新しい成果を生み出すことはできなかったでしょう。彼の娘がキリスト教会で結婚式をあげた時、彼が苦虫をかみしめた表情をしていたのも、あながち花嫁の父親という理由だけではないと、私は思っています。ですから、その彼が神仏に頼ると口にしたとき、私は自分の耳を疑いました。神の存在を信じない唯物論者の彼が『神仏に頼りたい」と言い出したのです。しかし、考えてみれば、それは彼だけの問題ではない。私の中でも、科学では捉えきれないものの存在が日に日に多くなっているんです」
「そうでしたか」
 私は辛うじて、彼の話に応えた。
posted by スポンタ at 06:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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