2009年03月30日

小説先祖供養_95

アカデミズム…。
 休憩時間に入ると、妻はいたたまれなくなって、車に行って休むという。十分の休憩を挟んで、日本学普及会の大町教授の後援が始まった。彼の演題は、「肉体と精神と宗教」というものだった。宗教学者である彼は、世界の聖地を訪れたときの霊的な感動ついて語った。だが、それはきわめて印象批評的なものであり、比較宗教論の範囲を出るものではない。人文科学ではあっても、サイエンスというには程遠い。
 大町教授の講演が終わると、気功についてのパネルディスカッションがあり、続いて、会場の一般参加者から質問を募るコーナーになった。
 会場からの最初の質問は、「最後の審判は本当にあるのですか。科学的にお伺いしたい」というものだった。座長の吾妻教授は回答者を選ぶように壇上の教授のひとりひとりに視線を向けていった。大町教授は宗教学が専門なので、彼が応えることになった。
 大町教授は、キリスト教の教義の中での最後の審判の位置を説明して、実際に存在するかどうかという質問者の本意をはぐらかした。座長の吾妻教授は、大町教授の回答に満足しているような微笑を浮かべた。
 次の質問者は、上品なダブルのスーツを着た五十代の男性だった。
「私の友人のご子息が、睡眠中無呼吸症という病気にかかっています。この病気は、寝てしまうと呼吸が停止するという難病で、現代の医学では治療法がありません。しかし、治療法がないからといって、ただ黙って彼の死を待つわけにはいかないのが、親の情というものです。友人は、息子さんを寝かさないように、毎晩と付き添いました。しかし、それも何ヶ月も続くと彼の方がまいってしまいました。そして、彼は私に電話をしてきて、『人間は本当に困ったときには神仏に頼るというが、そういうことをやってみていいんだろうか』と、相談してきたんです。その辺りのことについて先生がたのご意見をお伺いしたいのですが」
「それでは、どの先生にこの質問にお答え頂きましょうか?」
 座長の吾妻教授は、壇上の教授陣にひとりづつ視線を交えた後で、水野助教授を指名した。彼女はパネルディスカッションで気功をサーモグラフィーや心電図を使った分析した医科大学の助教授である。
「最初に申し上げますが、私の肩書きは医科大学の助教授ですが、医者ではなく研究者です。したがって、こうしたご相談に乗ることは差し控えたいと存じます。しかし、私の意見として述べさせていただければ、担当のお医者さまがいらっしゃるのですから、そのお医者さまにご相談されるのが一番ではないでしょうか」
 質問の男性は、自分の質問の仕方が抽象的で本意が通じなかったのかと思い付け加えた。
「世の中には、気功に限らず現代科学の範疇を超えたさまざまな治療法があると思います。それは宗教的治療といってもよいと思いますが、そのあたりの是非について、率直なご意見をお伺いしたいと思います」
 座長は、誰かがこの質問に答えてくれるのではないかと壇上を見回したが、誰一人として、視線を合わそうとはしない。彼は仕方なく自ら語りはじめた。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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