2009年03月28日

小説先祖供養_93

最終章…。

できごとは、人体科学会をモチーフにしている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E4%BD%93%E7%A7%91%E5%AD%A6%E4%BC%9A

この学会は、早稲田OB/ソニー創設者で障害児のお嬢さんを持った井深氏の資金によって作られた。その主旨は、アカデミズムとスピリチュアリズムの境界領域だろうが…。


第十七章:人間科学学会

【人間科学学会設立の趣旨】
 二十一世紀を目前に控え、社会のいたるところで人間性の危機が叫ばれています。その原因は、科学技術の急速な進歩に比べて、人間精神の進歩がともなっていないことにあります。この度開設された人間科学学会は、新しい学際的な観点から総合的に人間の本質を研究していこうというものです。

 蔵原のデスクの上に一枚の葉書が置いてあった。その葉書は人間科学学会への招待状である。私はふと手にとって読む。
「人間科学学会はニューサイエンスの立場から、宗教・哲学・心理学から医学・生命科学・工学技術など、現代の最先端の学問によって、人間の心と身体についての未知のメカニズムについて研究するとともに、いまだ学問として未開拓なさまざまな分野についても、学際的な立場から取り組んでいます」
 この学会は、世界的に知られる日本の電機メーカーの創始者が資金を提供して誕生させたものである。世界的に知られる創始者は、精神障害の娘を持っていた。彼は科学を超える分野にも関心が深かい。そのひとつは胎児に早期教育を施すという胎教であり、もうひとつがニューサイエンスだ。世界的な企業家は愛嬢との交流を通じて、スピリチュアルな世界の存在を実感し、それを科学的に証明して欲しいと願っていたのかもしれない。

 日曜日、私は妻とともに、人間科学会が開かれる聖訳大学に向かった。最近郊外に引っ越したこの大学では学生も車で来ることが許されているらしく、立派な駐車場が拵えてあった。私たちは、閑散としたその駐車場に車を停めると、日曜日のキャンパスを歩いて行った。
 受付で蔵原宛の招待葉書を出し、講堂にはいって行く。四百人を収容できる扇形の階段教室には、すでに百人を越える人が集まっていた。学会といってもオープンスクールのようなものだが、参加者の中に文化セミナーに集まってくるような人たちは少なかった。学会の幹事のゼミの学生や眼鏡をかけた尼僧たちの姿もみえる。客席には、私がビデオの仕事であったことのある、ミハエル・ラップマン教授の姿もあった。
 定刻の午後一時三十分になると、座長の聖訳大学の吾妻教授が壇上にあがり短く挨拶をし、講師を紹介した。促されて登壇した畑教授は心理学学会の重鎮であり、テレビにもよく出演する。最近の彼は気功普及協会の理事をつとめていた。
 彼は竹取物語や伊勢物語などの古典の名作を俎上にあげ、日本人と気について論じていく。
「気になるとか、気にするとか、気を使った熟語というのは沢山あります。これは日本人と気というものがとても古くから密接に関わってきたからといえるでしょう。ある近松の作品の中を分析したところ、気を使った言葉の中で一番多かったのは、気づかいという言葉で二百七十一ありました。この数は、日本人の無意識の中に如何に気が入り込んでいるかという科学的な分析といってよいでしょう」
 畑教授の講演は私の期待を見事に裏切った。講演が始まってまだ十分と経っていないが、妻は静かに俯きちいさな寝息を立てている。講演の内容からいえば、妻の居眠りを責める資格は登壇者にはない。
 中国の気功はサイエンスの世界でも存在を認められているようだ。だがそれを過度に科学に結びつけると自らの栄誉を失いかねない。老獪な学者を私は軽蔑する。
posted by スポンタ at 11:01| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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