2009年03月26日

小説先祖供養_91

仏教は物語か…。

 放生会から数週間経つと、義母の一周忌がやってきた。
 集まった親戚たちを前に、浄縁寺の住職は仏壇に向かって二十分ほど読経した。あっけなく法要は終わり、一同は座敷に移り一周忌のお清め膳になった。ひととおりの料理が出て、ビールで住職の顔がほんのりと桜色になったところで、私は住職に尋ねる。
「ご住職。人は亡くなって四十九日経つと三途の川を渡るっていいますけど、今お母さんはどのあたりにいるんでしょうか?」
「そうですね。一般的に言われている通りだとすれば、三途の川を渡った向こうは彼岸ですから、あの世ですなぁ。賽の河原があって、閻魔様が待っていて、極楽へいくか、地獄へいくかを決めるんですね。ま、おかあさんの場合は大丈夫。信心深い方だったですから、成仏されて極楽浄土に行ってますよ」
「本当にそうなんですか?」
「どうしてです?」
「最近では、よくテレビや雑誌で臨死体験が取り上げられているのをご存知ですか?」
「臨死体験ねぇ」
「九死に一生を得た人の中には、三途の川を途中まで行った人や、死後の世界に行って、観音様やお釈迦様に会ったという人がいるようです。ご住職は、今日は亡くなった義母のために読経してくださいましたが、本当にお母さんは成仏しているんでしょうか」
「ご主人、故人に失礼なことをいうもんじゃありません。お母様は立派に成仏されていますよ」
「どうしてそれが分かるんですか?」
「どうしてといわれても困るが、この浄縁寺がお母様の供養をやっているからといってはいけないかな」
「はぁ…」
「世の中には、自分に上手くいかないことがあると、すぐにご先祖の因縁だ、水子の霊だなんて騒ぐ人たちがいます。また、これは僧籍にある私が言うのもおかしな話だが、神社やお寺にお参りして自分の願いが叶うように頼むというのも、決して褒められた話じゃない。自分の願いは自分の努力によって、達成するのが一番尊いこと。なのに、世の中には賽銭箱に一万円札を入れて拝む大馬鹿者もいる。寺に来てすがすがしい気分になって、自分を奮い立てる。まぁ、その程度の意味で寺を使うのがいい」
「じゃ、ご住職は、輪廻転生を信じていらっしゃらないんですか?」
「私は寺の住職だぞ。輪廻転生は信じるとか信じないというレベルをはるかに越えて、身体にしみ込んでいるさ。しかし、人間にとって一番大切なのは、この世を一生懸命生きること。つまり、極楽に往生できるように、毎日修行を積むことだよ。人間、我欲を捨て、人を思いやって生きていれば、極楽に往生できるものさ。ご主人みたいに、先々を詮索していれば、成仏できるものも成仏できなくなってしまう。あの世のことは、この世の人間がとやかく言うべきものじゃない。それが道理というものだよ」
 親戚全員に送られると、住職は上機嫌で帰っていった。
posted by スポンタ at 06:43| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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