2009年03月25日

小説先祖供養_90

生きとし生けるもの。

「放生会に疑問をお持ちのようですね」
「あ…。い、いえ」
「勘違いをされて困るのは、放生会は自然保護のために行っているのではないということです。共善会は、すべての魂の救済を目指しています。総ての魂とは、生きている者の魂、死んでいる者の霊魂、そして、動物、植物、好物など、すべての霊です」
「…」
「確かに、最近は日本中で自然が失われています。そのためには木を植えなければなりませんし、生き物も大切にしなければなりません。しかし、木を植えるといっても何を植えたらいいのです? 人間の浅知恵で木の種類を決めていいのでしょうか。生き物は大きな自然のバランスの中で生きています。人間の好みでもって、特定の生き物をえこひいきするのも自然のバランスを乱すことになります。私たち共善会のテーマは、直接保護活動をすることではなく、そうした行動のもとになる魂の浄化です。どんなに自然保護が叫ばれ、人々が自然と接することになっても、野や山に捨てられるゴミが増えることはあっても減ることはありません。その理由は、人間の魂が汚れから解放されないで、上辺だけの浄化に終始しているからなのです」
 霊能者の言葉に私は反駁することができなかった。とはいえ、彼女の言うことをまるごと信じてしまうこともできない。
「刈谷さん、分かりましたか? いや、分からずともよろしい。肝心なことは行動そのものの中にあるのです。川に魚を放流することも、合掌して線香を手向けるのも同じこと。行為だけ捉えて、意味を見つけ出すことに価値はないのです。あなたのように理屈理屈で物事を捉えようとしていると、何も先に進めなくなってしまいますよ」
 私はただただ霊能者の前で立ち尽くした。
「ご主人。私は毎日あなた方ご夫婦のご先祖さまのために行を行って、最近幾分和やかなものを感じるようになってきました。先祖供養も大分進んでいるようですね」
 私は、これまで出来る限りの努力をしたことを霊能者に明かした。だが、それはひとつとして供養ができていないことを知らせることでしかない。
「それだけ一生懸命探されたのなら、それが一番の供養ですね」
「でも、原因が分からなければ因縁を解くことはできないでしょう」
「確かに、墓に合掌し、線香を手向けることが一番の供養になります。しかし、それが叶わないというのも現実です。人は、別れるときに、よく『私を忘れないで』と言いますが、亡くなられている方も同じです。ご主人と友美さんが、盲縞のことを探しているときは、ワカさんのことを思い出していたでしょうし、浜月家のお墓を探しているときは、浜月家の人たちのことを思い出していたんです。それがとても大きな先祖供養になったんです。それから、友美さん。あなたはずいぶんと霊能力を身に着けましたね」
「は、はい」
「あなたの霊能力は、先祖供養をする中で大きく成長しました。その力は、もう私を必要としないほど十分に強いものです。あなたは勘のいい人だから、自分たちの先祖のためだけでなく、人のためにも使いなさい。それがあなたの使命なんです」
 白桜と妻、そして、私が見つめる向こう側には会員たちが魚を放流している。その風景は一見すると楽しい川遊びだ。だが、なかには障害者を連れた親子の姿もある。そして、その他の参加者たちも何らかの霊的な因縁を抱えているのだろう。
posted by スポンタ at 09:28| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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