2009年03月23日

ルーブル美術館展。娘に伝える父親の芸術論。

昨日、中学2年の娘を連れて、上野の西洋美術館の「ルーブル美術館展」に行って来た。

http://www.ntv.co.jp/louvre/


私は、レンブラントの自画像を見る機会があれば、極力見に行こうと思っている。
国際社会で社交・交流するならば、文化的教養/素地は必須と思っているから、娘に美術を伝えることは、「子育て」「親の義務」のひとつ。と、考えている。

親は入場料1500円だが、中学生は無料。だから、自由業時間のとれる平日ではなく、娘が行ける休日に行った。日曜日の1時過ぎ。入場10分待ちで入ることができた。



今回のルーブルは、17世紀の絵画である。
目玉は、レンブラント、ラ・トゥール、フェルメール、リューベンスだろう。



さて、1600年代といえば、大航海時代であり、何故、大航海時代がはじまったかといえば、キリスト教を主な原因とした絶え間ないヨーロッパ内の戦争に疲れ果てたヨーロッパ諸国がヨーロッパ内での戦争を自主規制し、世界各国の植民地競争に発展させたことにある。

西尾幹二氏も指摘するが、「秀吉は日本国内を統一した後に、世界制覇をめざした」が、「西欧諸国は、ヨーロッパでの戦争に飽き足らず、世界制覇を目指した」のである。
フランスとイギリスの百年戦争は、1337年から1453年。ジャンヌダルクが現れたのが、1429年。
宗教改革がドイツで1517年にはじまるが、絶対王政は充実期を迎える。新旧教徒の対立と、イスラム勢力の侵入。
そして、1600年代、デカルト、パスカル、ガリレオらが登場する…。

そんな歴史の潮流の中で、1600年代の絵画を見る。

それが重要なことだと、娘に伝えた。



老夫婦が、遠近法について、「モナリザの作者も…」と語り合っていたのを披露しながら、「ヨーロッパには、昔から遠近法があった」と感想を述べる。つまり、日本の芸術は西欧に後れを取っていた…。と。

仕方のないことだが、娘は現代教育の価値観に汚されている。そこで、私なりの芸術観を娘に伝えることになった。



何のために絵が描かれたか。
それこそが絵画/芸術作品を鑑賞するにおいて、忘れてはならないことである。

何故、遠近法を使ったのか。
何故、レンブラント/ラトゥールは、光と闇を描いたのか。
何故、リューベンスは、豊満な女性の肉体を描いたのか。



西洋美術館の建物は、ル・コルビジエというフランスの建築家が作ったものだが、彼は、「住まいとは、生活するための工場である」と語っていた。
世の中には、美術の授業があるわけではない。職業作家が収入を得るために、何をしたか。しなければならなかったか。芸術作品をつくらせた人達の思惑は何なのか。

建築物は、使うためのものだが、絵画も同様であることを忘れてはならぬ。



1600年代の絵画を語るについては、その前の絵画について対照しなければならない。それは、教会モザイク画などの平面的な描法である。

西洋近代絵画のスタートは、ジョット(1267年頃〜1337年)からである。何故、ジョットは空間的な表現(線遠近法/空気遠近法)をしたのか。

私が考えるに、「キリストという絶対的な存在」でさえも、「空間という神の摂理」の中に存在するに過ぎぬ。ということを伝えたかったからである。

*

娘に解説する。
人間は、目の前に物があるのに、わざわざそれを「そのままを描くこと」に熱中するようなことはおきない。


人間は、わざわざ「食べれないりんごを作る」ことなどしない。

つまり、「日本人が絵画表現において平面的表現を選択した理由」は明確に存在するし、「西欧が遠近法/立体表現/光の描写を行なった理由」が存在する。



ギリシァ神話を描出した絵画がある。

http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict1.html

ここで、登場人物は、はっきりと描かれている。
何故、ギリシャ神話の登場人物が、空気遠近法(遠くになるほど、色が鈍くなる)と線遠近法(水道橋)の中で客観的に描かれている。この客観的なところ。つまり、「海を切り開いた」というモーセが、神(スーパーマン)として描かれていないところに注目しなければならない。
そういう時代のうねりが、1600年代にあったのである。

ラトゥールの絵画を見れば分かりやすい。

http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict12.html

無名のまま生涯をおえたフランス人画家は、「キリストと父・ヨセフよりも、光を重視している」。
サイトの解説では、ヨセフへの信仰が指摘されるが、画面構成を見る限り、「光が主人公」であり、イエスもヨセフも「光の従僕」に過ぎない。光こそが、「キリストを越えた存在」である。との表現になっている。

「光こそが神」。それが、レンブラント絵画の魅力である。

http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict2.html

レンブラントの自画像の魅力は、それが自分のために描かれたもの。ということだ。自分のために書くことにおいて、芸術家は至高/究極を目指す。

一方、肖像画は、貴族から発注されたものに過ぎぬから、一族の富貴を表現する宝石が正確に描出されることになる。

http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict8.html

ここにも光の表現はあるが、それが第一の目標ではない。

さて、リューベンスは豊満な女性の肉体を描いた。ルーベンスとは、あの「フランダースの犬」で、少年ネロが最後まで見ることができなかった作品を書いた人物である。我が娘はネロのような厳しい境遇ではなく、やすやすと絵画を見ることができる。だが、ネロが感じるであろう感動を持って見つめられたのだろうか。

私は、リューベンスの豊満な肉体表現は、裸を表現したのではない。「神性」を表現するためのものだ。と、娘に伝えた。絵画で描かれる女性の胸は「ポルノグラフィーな表現」ではなく、「豊かさの象徴」としての胸である。フランスの市庁舎の表には、胸をはだけた女性の胸像が必ずあるというが、女性の胸は「豊かさ/繁栄」を意味するもので、守り神的な効果を期待してのものだという。

ただし、描かれたものが女性の胸であることは確かなので、そこにポルノグラフィーな思いが混じることもある。リューベンスの対照として、以下の画を娘に指摘した。

http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict14.html

この作品の作者はレンブラントの弟子だという。リューベンスの描いたものがNudeだとすれば、この作家が描いたのは、Nakedに近い。

リューベンスの流れの先にはルノワールが存在し、この作家の流れの先にはエゴン・シーレがいる。

*

今回やってきたフェルメールは小品であり、この作品で彼を語るのは、ちょっと寂しいのでやめることにする…。

http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict5.html



1600年代。西欧は世界進出を行なった。その頃の歴史を動かしていた西欧人たちの生活/思想が絵画になっている。そのことを思えば、何とも面白い。

中学生以下は無料。ぜひとも、お子さんを連れて行くべき…。

*

ただ、娘に手渡された、ジュニア向けのパンフレットには、「この画の中に骸骨がいくつありますか?」などという馬鹿げた質問がある。そして、今回の展覧会の最大の呼び物であるレンブラントの自画像についての言及がない。

何とも嘆かわしい…。

西欧16世紀の貴族や宗教家などの世の中を動かしていた人達は、何を大切に思って、画家に「何を」描かせたのか。そのことを知るために、西洋美術館に行くべき。

描かれたものは、「キリスト」ではなく「光という神」「空間/立体という神」だった。

それが私の読み取ったもの。

近代化とは、キリスト教からの離脱。ルーブルからやってきたのは、「ガリレオの時代の作品群」である。
posted by スポンタ at 08:08| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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行こうかどうか迷いましたが 中学生 無料に惹かれました
Posted by リラックマ at 2009年05月02日 08:20
はい。
中学生は無料です。
ぜひとも連れて行くべきです。ラトゥールの絵は教科書にも載っているようです。
ラトゥールとレンブラントの陰影は、印刷では表現できません。
必見です。

コメントありがとうございました。
Posted by at 2009年05月02日 12:21
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