2009年03月23日

小説先祖供養_88

横浜も港町…。
 妙法寺は小高い丘の上にあった。山門の下にある駐車場に車を停めると、私と妻は参道の階段を昇った。参道の階段は崩れる一歩手前、波を打っている。敷石の間からも雑草が生い茂る。
 参道の階段を昇りきり、本堂に向かう石畳を歩いて行くと、左に手を清めるための四角い石で出来た桶がある。だが、その中に水はなく枯葉が積もっていた。住職のいない寺ならば、これぐらいの荒れ具合は珍しくない。だが、この寺には住職がいるというのだ。
 本堂脇の入り口にあるブザーを押すと、寺の奥さんが出てきた。
「突然、お邪魔して申し訳ありません。このあたりの墓地についてお話をお伺いしたいんですが…」
 私と妻は、頭を下げた。
 奥さんに呼び出されて、中学校の歴史の先生といった感じの住職が出てきた。年齢は五十歳を少し欠けるぐらいだろうか。
「江戸の末か明治の初めの頃だと思うんですが、このあたりに墓地はありませんでしたか?」
 私は、刈谷家があるあたりの地図を見せた。
「ここかい? このあたりは明治の初めだったら、まだ海の底だよ」
「そうですか…」
「だから、そんな墓地なんてある訳がないな。でも、何でそんなこと調べてんの?」
「実は、うちのご先祖が昔このあたりに住んでいたらしいんです」
「そう。でも、そんなの調べたって無駄だよ。このあたりは小さな漁村だったから、たいした人間は住んじゃいなかったんだから」
「実は、私の仏壇に浜月という家の位牌がいくつも残っているんですが、お墓の場所が分からなくて困ってるんです」
「そう。でも、明治の初めの大昔だったら、みんなどっかへ飛んで行っちまってるさ。そんなに気にするのはよくないから、やめたほうがいいなぁ」
「はぁ…」
 私と妻は早々と寺を後にした。
 僧侶といえども必ずしも霊魂の存在を信じているとは限らない。事実、禅宗などでは、生きている人間が修行して成仏することに重きを置くばかりに、死者の霊をお経や線香で成仏に導くことは二義的にとられ、祖霊の法要を軽視する傾向がある。この寺の住職も郷土史の研究家だけあって、宗教を人文科学のひとつとして捉えれているのだろう。
 だが、刈谷家が明治以降に埋め立てられた場所だったことは明らかになった。だから、ダウジングの結果が正しいとするならば、浜月家の遺骨は土砂崩れか何かで墓地が流され、海に沈んだことになる。
 それは京都の白桜が指摘した冷たい水の中にお墓が沈んでいるという霊視の結果ときれいに符合する。ただ違うのは、白桜はそれが四国であるといい、ペンデュラムはそれが横浜であると示していることだ。
posted by スポンタ at 12:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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