2009年03月19日

小説先祖供養_84

これは実際にあった話を小説家したものです。


 案ずるよりも産むが安し。私は妻の前に日本地図を広げた。白桜の霊視では、四国の湖の底に浜月家の墓があるのではないかと指摘される。妻も昨夜のテレビでマップダウジングの様子を見ていたから、説明の必要はない。
 私は三十センチの物差しと鉛筆を持って、妻の合図を待った。
「浜月家のお墓はどこにありますか?」
 妻はペンデュラムに問いかける。
 地図の上にぶら下げられているペンデュラムが楕円形に回り出した。私は、その楕円形の長軸に物差しを合わせて、地図の上に直線を引く。地図のいくつもの点で同じことを繰り返すと、沢山の直線が地図の上に現れた。その直線が交わっているところに、浜月家の墓があると推測できる。
 墓がある場所はひとつなら、沢山の直線は一箇所で交わるはずだが、なかなか理想的に事は運ばない。直線はいくつもの場所で交わっている。そして、その交点の殆どが神奈川県の上だ。
「やはり、浜月家は刈谷家と何らかの地縁があったんだよ」
 私は神奈川県のロードマップを広げた。
「もうちょっと右」
「もうちょっと左」
 妻の指示を受けながら、私は地図の上に直線を引いていった。
「地図の上で振り子を動かすと、振り子が引っ張られていくのが分かるわ」
 地図上に引かれた直線は、高島町からニ、三キロ離れた地点で幾重にも交差してきた。妻がその交差した地点へペンデュラムをもっていくと、振り子は真円を大きく描いた。
 妻はペンデュラムに語りかける。
「この場所が浜月家のお墓のある場所ですか?」
 ペンデュラムは右回りに大きく回ってイエスを表した。地図で見る限り、そこには寺もなければ墓地もない。
「浜月家のお墓はお寺にあるんですか?」
 ペンデュラムは今度は大きく左に回った。
「お墓は家の中にあるんですか?」
 今度はペンデュラムは右に大きく回った。昔は、大きな家には自分の家の敷地内に墓地があった。浜月家もそういう形で住宅地の中に墓地が残っているのだろうか。そのあたりの事情は手元にあるロードマップから探ることはできない。
「私は浜月家のお墓を見つけ出すことができるのですか?」
 ここでもペンデュラムは右に回った。
 どちらにしても、ペンデュラムの指す横浜の場所に行くしかない。翌日の朝、私は会社に休みをとると、妻とともに横浜に向かった。車にはペンデュラムの他に、お墓が見つかった時のためのお線香、蝋燭、そして、お清めが必要かもしれないので、清酒、粗塩、火打石、そして、読経するための般若心教のコピイを積んでいた。
 私が最初に目指したのは、横浜の伊勢崎町にある大きな書店である。ペンデュラムが指していた場所の詳しい地図があれば正確に浜月家のお墓の位置を特定することができる。その土地について一番詳しく載っているのは住宅地図である。住宅地図にはさらに一軒一軒その家の持ち主の名前が載っている。住宅地図は、新聞配達や宅配便の人たちには必需品である。私はその中から、高島町が載っている西区の地図を購入した。
 私が地図を買ってくるのを、妻は車の中で待っていた。車に乗り込んだ私は、昨夜のマップダウジングでペンデュラムが示した場所が載っているページを住宅地図で探し出し、助手席の妻の前に広げた。
 目印の小学校がある。
posted by スポンタ at 07:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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