2009年03月15日

小説先祖供養_80

私と横浜の地縁…。



八十年前といえば、一九一ニ年。大正元年になくなった人の記載は残っている。仮に大正元年に亡くなった人を想定すれば、その戸籍には一八三ニ年からの記録が残っていることになる。ということは江戸時代の天保年間である。もし書庫の中を虱潰しに探すことが許されるなら、浜月家の手がかりを見つけ出すことができるかもしれない。
 五分ほどすると戸籍係が刈谷福次郎の除籍謄本のコピイを持って現れた。それによると、刈谷福次郎は、安政三年十月十七日(一八五六年)に父・平七、母カウのニ男として生まれている。生まれた住所は分からない。だが、この戸籍を設けるにあたる経緯として、次のような記載がある。
「神奈川県横浜市高島町八丁目、刈谷平吉叔父分家、明治四十年二月二十三日届出同日受付」
 家族は分家後の明治四十二年三月二十ニ日に入籍したヨシだけだ。
「やっぱり、浜月家に養子に行ったなんてどこにも書いてないわ」
「考えてみれば、一旦刈谷家に戻ったんだから、浜月家に養子に出されたことが書いてないのも当然だよな」
「でも、明治四十年の記録が残っているなんてね…」
「そうだよな。関東大震災も第二次世界大戦の空襲も免れたんだからたいしたもんだよ。待てよ。戸籍が駄目なら、土地の登記簿を調べるっていう手があるんじゃないか」
 私の提案に妻は同意して、土地の登記係へ行くことにした。戸籍係と違い、区役所の土地登記のコーナーは賑わっていた。集まってくる人の多くは、土地に付けられている借金を確認しに来た金融会社や不動産会社の社員たち。傍目にも、彼らが殺気立っているのが分かる。
 私は旧番地と新住所表示の対応表をめくりながら、新住所表示で土地登記簿の閲覧申込書を書いた。だが、職員から渡された該当番地の登記簿ファイルには、戦前の記載がない。
「純ちゃん。戦前の登記簿がないのは当たり前よ」
「どうして?」
「品川区役所は空襲で燃えちゃったのよ。戦前の家も空襲で燃えちゃったんだけど、大井町の駅前のいい場所だったから、戦後すぐにバラックが建ったんですって。それで、お父さんたちが疎開先から帰ってきたとき、ここはうちの土地だからどいてくれって頑張ったらしいんだけど、登記簿がないから土地を諦めるしかなかったんだって」
「でも、戸籍は燃えずに残ってたんだぜ」
「きっと品川区役所は燃えたけど、大井村の役場は戦災で燃えなかったのよ」
 私は妻の言葉に納得した。すると、この登記簿閲覧コーナーにいる殺気立った人たちが急に身近に思えてくる。戦後まもなくこの役場の登記簿コーナーに現れたであろう光晴。その当時とは建物は勿論、場所だって変わっている。だが、私の脳裏には刈谷家、そして浜月家から受け継いだ財産の総てを失い呆然とする光晴の姿がまざまざと立ち上がってきた。
 家に戻ってから、私はもう一度福次郎の除籍謄本を見直した。福次郎さんの前の除籍謄本をもらいに横浜まで行くしかない。私はロードマップで横浜市のページを広げた。福次郎の本家は横浜市高島町八丁目とある。横浜市高島町は、現在の横浜市西区高島町となっているが、二丁目までしかない。横浜市は区役所に分かれているから、どこに行ったらいいのだろう。私はとりあえず西区役所に電話で問い合わせてみた。福次郎の本家の戸主と住所を言うと、刈谷平吉の除籍謄本があるという。翌日、雨の中を私と妻は横浜に向かった。
posted by スポンタ at 11:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・先祖供養 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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